ホセ・ムヒカ大統領から受けた“生きざま”と女優・外資系VC・MENSAで培った経験を政治にどう活かせるか|日本維新の会 若林りさ氏(PR)

若林りさ氏は、外資系VC(ベンチャーキャピタル)で日本の未来へ投資する仕事に従事。高IQ団体メンサの会員兼運営委員の広報を担当する等、グローバルに活躍されています。

その他、女優・タレントとして映画や舞台に出演する等、芸能活動もしていましたが、2023年からは世田谷区政に挑戦すべく、政治家への転身を決意しました。

華やかな経歴を持つ若林氏。なぜ政治を志したのか、その経験がどう政治に活きるのか、どのような世田谷区にしていきたいのか等、お話を伺いました。

政治を志した理由は「世界一貧しい大統領」の”生きざま”

選挙ドットコム編集部(以下、編集部):

政治家になろうと思ったきっかけを教えてください

若林 りさ氏(以下、若林氏):

私が政治に興味をもったきっかけは、「世界一貧しい大統領」がキャッチコピーであるウルグアイ元大統領ホセ・ムヒカさんです。

本が出版されたことなどがテレビで紹介されていて、「大統領なのに貧しいってどういうこと?」と興味を持ちました。

というのも、ムヒカ大統領の言動は、私が思い描く「政治家」とはかけ離れていたからです。

「命を愛するための投資が必要だ」「人間が後世に残せるのは教育である」といった内容の演説をしたり、給料の90%を寄付したり。

彼は、お金持ちでも政治家の家系でもない。活動家時代には逮捕歴まであります。

でもその「生きざま」が格好いい!まるで物語の人物みたいだ!と、人間的な魅力も強く感じました。

そのタイミングで2016年にムヒカ大統領が来日。東京外語大で演説されたのですが、居ても立ってもいられず、その演説を聞きに行きました。

正直、ムヒカ大統領のことを知るまで、私はそこまで政治に興味はありませんでした。”選挙には行っていた”程度です。

でもこの演説を聞いて、「こういう人がいたら政治はもっとおもしろくなるんじゃないか?」と思いっきり心を動かされました。

日本で政治に興味や関心がなかったり、政治家になりたい人が少ないのは、今の日本の政治家に期待が持てないからなんじゃないか?と感じています。 

魅力的な人がトップに立って、彼のように日本を動かしていけたら、日本の閉塞感も薄れるのでは?と希望が生まれました。

政治塾に6つも通った結果……

編集部:

そうなんですね!政治に興味をいだいて以降、すぐに政治家を志したんですか?

若林氏:

実はそんなことはありません。当時はまだ芸能活動を行っていましたが、並行して政治の勉強を始めました。

最初は「政治家になりたい!」と思ったのではなく、「もっと政治のことに詳しくなりたい!」と思っただけなんです。

そこで、小池都知事が主催する「希望の塾」に入塾しました。

4000人が応募し、約3000人の塾生がいたのですが、その中で選抜試験があり、ラッキーなことに試験に通り300名に残ることができました。

「希望の塾」については、覚えている人もいらっしゃるかもしれませんが、メディアからも多く取り上げられました。

希望の塾では選挙活動の全体像をざっくり知ることができたのですが、私が知りたかったのは「政治そのもの」。

もっと政治を知りたい!と、その後も「政治塾」に参加し続け、最終的に6つの政治塾に通っていました。

選挙ボランティアで政治が「自分ごと」に!

編集部:

区政へ挑戦することを決めたのはどのようなきっかけでしたか?

若林氏:

いくつもの政治塾に通っていたので、その同期メンバーがどんどん出馬していったんです。

選挙のお手伝いで、チラシ配りやポスター貼り、ウグイス嬢まで、選挙ボランティアにはひと通り携わりました。

ともに学んだ同期が出馬して政治家になるという経験を何度も繰り返していると、次第に自分の中で政治がどんどん「自分ごと」に変わっていったんです。

そうして、徐々に気持ちが変化し、「私もいつか政治家として日本を良くするために一翼を担えるような存在となれたら」と思い、勉強をし続けていました。ただ、それでも選挙にチャレンジするには、かなりの勇気が必要でした。

でも、「いつかではなく、行動しないと何も変わらない!やってみよう!!」そう思い、出馬を決意しました。

また、私が政治を学んだからかもしれないのですが、もっと政治を身近に感じて欲しいという気持ちもあります。

特に令和3年の国政選挙における20代の投票率は36.5%と、若者の声は国に届いていません。

逆に若者の投票率が高ければ、もっと若者のための政策を考える候補者も増えるはず。

選挙に行っていない方たちも投票すれば、世の中は劇的に変わるんじゃないかな!と思います。

それでも私のような人間が出馬することで、少しでも政治に興味を持ってもらえるんじゃないか?と思ったことも一因です。

舞台と映画、どうやって両立すればいいのか 

編集部:

ありがとうございます!

若林さんのこれまでの経歴を教えてください。

若林氏:

私は大学時代、映画が好きで毎日のように見ていました。

4年間で1,000本は見たんじゃないかな?と思います。

約2時間の中にたくさんの人生が詰まっていて、色んな気持ちになれるので大好きでした!

だから私も、「女優としてあの場所に立ちたい」と思うようになりました。

モデル業からのスタートでしたが、徐々に舞台や映画など「演技」の世界にのめり込む様になったんです。

そしてこれはだいたい3年前のことなのですが、映画撮影と舞台稽古の時期が重なってしまったことがあります。

「どちらかだけでもキツイのに、どうしよう…」と。

正直、どちらかを諦めることが普通だし、諦めようと思ったことも一瞬あります。

しかし結局は、ニコラス・ケイジさん主演のハリウッド映画も、ずっと前から決まっていた舞台も「両方やる」という、私にとって最善の策を取りました。

映画の現場に入ると舞台の稽古には出られません。

しかし、舞台の仕事でも絶対に迷惑はかけたくありません。

ですので稽古現場の動画を送ってもらい、空き時間やホテルにいる間に、舞台の動画を見て動きを覚えたり、台本を覚えたり、とできることを徹底的にやりきりました。

それでも、「うまくいくかな」「共演者に迷惑をかけないか」と、不安だらけの日々でしたが、悩んでいるよりも稽古をしようと、「できること」に集中して必死に取り組んだんです。

結局、舞台の方は6回しか通し稽古はできなかったのですが、本番では一度のミスもなく舞台を終えることができました!すごく嬉しかったです。

「やると言ったからにはやるぞ!」と人生で一番必死になった経験でしたね。

編集部:

努力家ですね!これまでの経歴をどのように区政に活かしたいと考えていますか?

若林氏:

私は芸能活動の他にも、民間企業では外資系ベンチャーキャピタル(外資系VC)の日本支社に所属したり、世界規模で社会貢献を目指すメンサの会員になり広報業務を担当したりと、沢山の企業や人と関わり、グローバルに活動してきました。

特に外資系VCでは、投資を行うためのデューデリジェンスなども行ったことで、「企業の内部を分析する目」も養われたと感じています。

私が生まれ育った世田谷区は広くて人口も多い、東京の中でも特別な場所です。

都会の住宅街のイメージが強いと思いますが、老若男女様々な人が住んでいる、多様性に富むまるで一つの国のような街だと思ってます。

私自身が生まれ育ち、住み続けて来たからこそ、世田谷区の良さや問題点が見えてきます。

例えば、区内には意外と畑も多いのですが、畑のあるエリアには防犯カメラが少なく、農作物等の盗難被害が多発しています。

街の安全を守り、そういった都市農業の発展にも力を入れたいと思っています。

また、高齢者の住む家が強盗や空き巣に狙われたりと、今現在も問題視されているため、町全体での防犯対策を進めていく必要があるとも感じています。

他にも住みやすいまちづくりのために、自転車の専用道路を拡充したり、街灯をもっと明るく照らして安全対策に取り組んだり、育児サポートをもっと手厚くしたり、、、

大きなビジョンを持ってますが、足元の部分にもしっかり目を行き届けたいと思っています。

編集部:

最後にプライベートについて聞かせてください。 

若林氏:

途中でも触れましたが、元々映画が好きで、大学在学中には1,000本以上の映画を観ていました。

中でも「インターステラー」や「スターウォーズシリーズ」が大好きです。

あとは漫画も好きなのですが、特に好きな作品は「キングダム」や「ジョジョの奇妙な冒険シリーズ」です。

政治活動をしている私も「世田谷は広い区だからこそ、まずここから!」なんて、勇気をもらったりもしています(笑)

選挙はすごく大変ですが、やりがいがあります。

世田谷区に生まれ育った私だからこそ分かる区民の悩みや問題点に目を向け、区政に届けられるように取り組んでいきたいです。

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