小田急&銚電コラボ!ロマンスカーミュージアムで鉄道の仕組みと歴史学ぶイベント【レポート】

ロマンスカーミュージアムに保存されている「モハ1」。ワイパーがないほかテールライトが1灯です。車両の右側はシアターになっています(写真:鉄道チャンネル編集部)

歴代の特急ロマンスカーを保存展示して、2021年4月に開館した「ロマンスカーミュージアム」。間もなく3年目に入る小田急電鉄の鉄道博物館は、今も変わらぬ人気ですが、理由の一つが趣向を凝らしたイベントです。

そんな催しの一つとして、千葉県の銚子電気鉄道(銚電)とタイアップした「ロマンスカーミュージアムで銚子電鉄を応援しよう」が、2023年3月18日に開幕しました。期間は3月31日まで。会社の規模は大きく違いますが、鉄道ファンはそれぞれに魅力を感じます。2日目の体験イベントと、今回初めて車内が公開された小田急創業時の電車「モハ1」の見学ツアーをレポートします。

硬券にハサミを入れる

小田原線海老名駅に隣接するロマンスカーミュージアムは、さまざまな鉄道会社とのコラボイベントに力を入れます。銚電は2022年12月の物販に続き、今回は体験イベントとトークショーを開催しました。

鉄道ファンや子どもたちの一番人気が、硬券乗車券の「きっぷ切り体験」。JRや大手私鉄は、自動改札からICカード乗車券へと進化しますが、銚電は硬券が現役です。

「昔は駅でこうやって、きっぷにはさみを入れ、列車に乗っていたんだよ」と説明するお父さんに、子どもたちぱ感心しきり。話を聞いた神奈川県川崎市の4歳と2歳の兄妹は鉄道大好き。駅長さんの制帽をかぶっての記念撮影に歓声を挙げました。

「うまく切れるかな?」。妹のきっぷ切り体験にお兄ちゃんも興味しんしん(筆者撮影)

タブレットは閉そく区間に入る「鍵」

「安全運行・閉そくの仕組み」がテーマのトークショーで銚電社員が披露したのは、単線区間の安全を守る「タブレット交換」。

「安全運行・閉そくの仕組み」がテーマのトークショー。銚電はパネルも用意しました(筆者撮影)

タブレットといってもパソコンではなく、鉄道用語では「通票」。決められた区間に列車1本しか入れない。「線路閉そく」が鉄道の安全の基本です。

写真は「糸魚川ジオステーション ジオパル」に保存されているタブレットケース。このような形の金属製の輪っかの根元部分の箱に通行手形に当たる通票が入っています(写真:鉄道チャンネル編集部、2020年撮影)

銚電の通票は丸形と四角の2種類。上下線の列車が行き違う「笠上黒生駅」で交換します。銚電社員の話では、行き違い列車がない場合も必ずタブレットを交換するそうです。

会場で熱心に聞いていた、男の子の感想は? 小田急沿線、藤沢市の小学4年生。「電気式の信号がなくても、列車が安全に動くことがよく分かりました」。銚電社員も感激しそうなコメントですね。

コラボのネットワークが銚電を支える

このほか、館内のカフェレストランで銚子漁港直送の魚介類を材料にした特別メニューを提供。ぬれ煎餅やまずい棒といった銚電みやげの販売コーナーも人気でした。

会場には竹本勝紀社長も顔をみせ、来場者と歓談。常に厳しい経営環境に置かれる銚電を支えるもの、それは社員の挑戦心、そしてロマンスカーミュージアムをはじめとする鉄道相互のネットワークのようです。

小田急で逃げる!? 放送禁止処分を受けた歌で一躍注目

ここから、今回初めて車内が公開された「モハ1」からたどる小田急の歩み。小田急の創業者は大分県出身で、弁護士から政界入りした利光鶴松です。

利光は当初、地下鉄を志向しましたが実現できず、目標を郊外電車に。昭和2年目の1927年4月、「小田原急行鉄道」の社名で、新宿ー小田原間を一気に開業しました。

これも有名な話ですが、小田急の名を広めたのが戦前の大ヒット曲「東京行進曲」。4番の歌詞は「シネマ見ましょか、お茶飲みましょか、いっそ小田急で逃げましょか」。

ところが、「歌詞が柔らかすぎて不穏当」と放送禁止処分を受けたそう。今なら〝大炎上必至〟?。しかし、歌のお陰で小田急は一躍注目を集めました。のどかな時代でした。

小田急から熊本へ、そして小田急に帰還

「モハ1」の車内。前方の運転席はパイプで簡単に仕切られるだけ。当時、つり革のベルトは本物の革製で、これがつり「革」の名の由来になりました(筆者撮影)

ロマンスカーミュージアムのモハ1の10号車は、片側3扉ロングシートの通勤型電車で、新宿と近郊区間を結びました。

両運転台で地方鉄道でも使い勝手が良く、1959年には4両が熊本電気鉄道に譲渡。1981年には熊本でも廃車になりましたが、小田急が開業当時の車両を探していた時期に重なり、20年余を経て小田急に復帰しました。

車内をみれば、運転席には加速用の制御器(マスコン)とブレーキがあるだけで、メーター類も圧力計だけです。なぜかワイパーもありません。

学芸員の方に「雨の日はどうしたの」と聞いてみても、答えは「よく分かりません」。実は小田急にも創業時の車両の資料はなく、一部想像で復元した部分もあるそうです。

ベテラン鉄道ファンの方、小田急か熊本で乗車した経験をお持ちの方、アドバイスよろしくお願いします。

木製車両の金属パーツに興味

ロマンスカーミュージアムを訪れるファンや子どもたちの興味は、もちろんロマンスカー。それでもモハ1の公開ツアー目当てに、来館した方もいます。

相模原市の中学生、興味があるのは「モハ1の金属」。確かに、車体のほとんどは木製ですが、ドアの留め具(初期の小田急車はドアエンジンが未装着で、手動で開閉していました)や、窓の保護棒などが金属製です。

さすが筋金入りの小田急ファン、目の付け所が違う。案内を担当した学芸員の方も、目を丸くしていました。

行き先票。「稲田登戸」は現在の登戸駅ではなく向ヶ丘遊園駅です(筆者撮影)
真ん中のドアには「小田原急行鉄道」のマーク。やや分かりにくいですが頭文字の「小」とレールをデザインしています。ドアは手動で運行中は外側から鍵を掛けていました(筆者撮影)

鉄道展示施設の相互ネットワーク

ロマンカーミュージアムでのイベントレポートは以上。今後もミュージアムではさまざまな催しを開催するそうなので、ホームページなどをチェックしてみてください。

ラストは、ミュージアム広報の方から聞いた話。最近、鉄道各社は車両展示などファンサービスに取り組みますが、呼応する形で会社間をまたぐ情報ネットワークも立ち上がったそうです。

標準軌も狭軌もモノレールも新交通システムも関係なし。鉄道博物館の相互乗り入れなら大歓迎ですね。

記事:上里夏生

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