「国と軍を支える」ウクライナの勝利信じ、食を守る人たち 戦時経済を歩く【農業・食品編】

 屋根が崩れた牛舎で、爆撃を受けた当時の状況を語る技師長のセルギー・ヤツェンコさん=2月15日、東部ハリコフの近郊シェスタコフ村(共同、遠藤弘太撮影)

 ウクライナはロシアの侵攻で人々の生活や経済をゆがめられた。2022年の実質国内総生産(GDP)速報値は前年比30・4%減と大きく落ち込んだ。開戦当初の首都キーウ(キエフ)への進軍や東部、南部の占領により、内外への避難民は約1300万人に上った。ロシア軍が残した地雷が農業生産を阻み、発送電施設などインフラへの攻撃はなおも続く。それでも人は暮らし、生きるために働く。戦時下の経済の現場を歩いた。(共同通信=角田隆一)

 ▽食品スーパーは仕入れ先開拓し営業継続

 長い歴史を持つキーウは、小高い丘の上に11世紀に建立された世界遺産、聖ソフィア大聖堂や修道院がそびえ、古い町並みが残る。丘を大河ドニエプル川に向かって急坂を下ると「下町」に出る。古くは金融業を営むユダヤ人街があった。今も飲食店や集合住宅が軒を連ね、にぎわいが続いている。

 厳冬の今年1月、一角にある全国チェーンの食品スーパー「シルポ」の店舗を訪ねた。間接照明で演出された店内にはハウス栽培で育てた国産の青物野菜が並び、品ぞろえ豊かな乳製品やハムなど地元ブランドの加工食品が陳列されていた。ルッコラのサラダ用詰め合わせの表示を見ると、侵攻直後のキーウ攻防戦の天王山となったブロワリが産地だった。客足は多く、とても戦争中には見えない。

 ウクライナの首都キーウの食品スーパー「シルポ」には豊富な肉加工製品が並んでいた=1月27日(共同)

 シルポの広報担当イワン・パリチェフスキーさんが状況を説明してくれた。「経営環境は激変しました。だが、われわれの使命は変わりません。ウクライナの人々に食を提供し続けることです」。グループ全体の店舗のうち1割を占領やミサイル攻撃で失ったが、なお約700店舗で営業を続ける。

 侵攻が続く中、営業継続のため物流網を組み替え、仕入れ先も国内外で新たに500ほど開拓した。状況は刻々と変わる。「とにかく柔軟に対応するしかありませんでした」。例えば、昨年5月、東部ドネツク州ソレダルに拠点を置く欧州最大級の製塩企業アルテムシルがロシア軍の進軍で経営が不全状態に。一から取引先を探し、トルコ企業との交渉を決着させた。

 グループの売上高は減ったが、戦時下でも新しいサービスを提供してきた。侵攻直後、お客がスマートフォンの専用アプリで商品のQRコードを読み込むだけで買い物できる仕組みを導入した。パリチェフスキーさんは「物資不足を恐れ、レジに顧客の長蛇の列ができました。列の解消にとても役に立ちました」と話す。

 昨秋以降、ロシアの電力施設への攻撃による停電が続いた。銀行のATMが機能しなくなったため、レジから銀行預金を引き出すことができるサービスを拡張した。

 ただ物価高は顕著だ。今年2月のインフレ率は前年同月比24・9%高。通貨フリブナ安も加わって、庶民の生活は苦しい。別のスーパーで買い物をしていた地元の40代女性会社員は「野菜は2倍以上の値段になりました。食品を買う量を減らしています。特に輸入品は高くて」と漏らす。

 ▽略奪された農機をロック
 生産の現場も苦闘している。ロシア国境まで16キロの東部ハリコフの近郊シェスタコフ村。村までの道沿いにあった複数のガソリンスタンドは砲撃で破壊されていた。東西に伸びる道路に沿って長い塹壕が掘られている。

 人口数百人ほどの村に入ると、道路は舗装されていない。「ハリコフの食物庫」と呼ばれる大農場を訪ねた。鉄骨がひしゃげた牛舎が並び、ミサイルの残骸が放置されている。かろうじて残る屋根を砲弾や破片が貫き、裂け目から雪が舞い降りていた。

 破壊された牛舎=2月15日、東部ハリコフの近郊シェスタコフ村(共同、遠藤弘太撮影)

 ここは大手農業企業アグロモルが経営するハリコフ州最大規模の農場だ。技師長セルギー・ヤツェンコさん(36)は「ロシアもここが農場だと知っているはずです。なぜ攻撃したのか。動物だって人間と同じ命なのに」と悔しがる。侵攻前は約5千ヘクタールの農地で酪農のほか、小麦やトウモロコシ、ヒマワリを生産していた。

 2022年2月28日午前8時40分ごろ、ロシアの空軍機5機が低空で飛来し、牛舎や穀物倉庫を次々と爆撃した。炸裂音と乳牛たちの悲鳴が響き渡った。爆撃をかいくぐり従業員たちは牛舎の扉を開き、外へ逃がした。約3千頭の乳牛のうち2千頭以上が命を失った。22棟あった建物は全壊または半壊した。従業員に死者も出た。

 牛舎に残るミサイルの残骸=2月15日、東部ハリコフの近郊シェスタコフ村(共同、遠藤弘太撮影)

 修理中の牛舎に足を踏み入れると、甘い腐敗臭が鼻を突く。皮と骨だけになった牛の死体が無造作に横たわっている。再建した牛舎に避難させた乳牛を戻し酪農を再開したが、「すべての死体を片付ける余裕はありません」とヤツェンコさん。

 昨年3月2日から5月までロシア軍に占領された。解放後、2千頭もの牛の死体を何日もかけて重機で埋めた。

 農地はどういう状況かと聞いた。「今年の作付面積はゼロです。地雷や不発弾が大量に残っているので危ない」。撤退時、ロシア軍が地雷をばらまいていった。ウクライナ軍関係者は「再侵攻するつもりなら、地雷を埋めた場所を記録するはずだが、計算して設置したように見えない。無秩序だ」といぶかしがる。雪で白く覆われた農地に踏み入ることができず、非常事態庁に危険物の除去を要請中だ。再び農地を利用できる見込みは立たない。

 ウクライナ東部ハリコフ近郊のシェスタコフ村にある農場の耕作地で発見された対戦車用地雷=1月26日、(アグロモル提供、共同)

 100台以上あった大型農機は半分が破壊され、約20台がロシア軍に持ち去られた。ヤツェンコさんは「略奪された農機は衛星利用測位システム(GPS)で位置を確認できます。農機は(隣接するロシア西部)ベルゴロド州で動いていました。もちろん遠隔操作でロックをかけました」と笑い飛ばした。

 ▽穀物作付面積は45%減
 ウクライナの主要な農業関連企業が加盟するウクライナ農産業クラブによると、2023年の穀物の作付面積はロシア軍の侵攻前の21年に比べ45%減の見通しだ。ロシア軍の占領地域や、ウクライナが奪還した地域でも農地に地雷や不発弾が数多く放置されているからだ。収穫量は物資高騰などの影響もあり、6割減になると予想する。

 ソ連の下、社会主義を経たウクライナの農業構造は特殊だ。6割の生産高をアグロモルのような大企業が占める。ただ中小生産者への影響も深刻だ。

 キーウ近郊イルピンで、700ヘクタールの農地で主に小麦を生産する農場経営者ミコラ・リマルチュクさん(61)の事務所を訪れると、ボルシチ用の乾燥野菜など軍への支援物資が山積みになっていた。「国と軍を支えるため生産を続ける覚悟です」

 ウクライナの首都近郊イルピンで小麦農場を営むミコラ・リマルチュクさん=1月27日(共同)

 だが逆風は強い。電気代は跳ね上がり、農機に必要な燃料高も続く。ロシアと緊密な関係を保つベラルーシから輸入していた肥料をドイツ産に切り替え負担増になった。輸出が滞るため、小麦1トン当たりの製粉企業への販売価格は3割前後下がったという。小麦を作れば作るほど赤字の状況だ。

 激戦地での兵士不足も農場経営に響く。「従業員約50人のうち7人が徴兵されました。これ以上従業員が減ると経営が厳しい」

 国連食糧農業機関(FAO)のアンケートによると、ウクライナの4分の1の地方農業生産者が生産中止や耕作面積の縮小に追い込まれたという。

 ウクライナの首都近郊イルピンで小麦農場を営むリマルチュクさんがすくい上げた前年収穫した小麦。大幅な値下がりに直面する=1月27日(共同)

 ▽ワイン酒蔵会社、避難先で再起へ
 本拠地が戦場となり、避難先で再起をかける食品企業の姿もあった。昨夏からロシア軍が包囲を試みる東部ドネツク州バフムトは鉄道や道路が集まる戦略的な要衝だ。この最激戦地に欧州最大級の地下ワイン酒蔵がある。

 酒蔵の会社名はアートワイナリー。バフムトの地下約70メートルに広がる数十ヘクタールの空間でスパークリングワインを醸造してきた。1880年代に石こう鉱山として開発され、ソ連時代の1950年代に酒蔵に転換した。

 ウクライナ東部ドネツク州バフムトにあるアートワイナリーの地下酒蔵(撮影日時不明、アートワイナリー提供、共同)

 地下は年間を通じて気温が13~15度で、湿度も安定し、ワインの熟成や保存に適している。ガスの注入ではなく酵母の発酵で炭酸を生じさせる伝統的な製法で生産してきた。広大な地下には侵攻前、約1800万本のワインを貯蔵していたという。営業責任者のアレクサンドラ・チェレドニチェンクさんは「自然の発酵でできた炭酸は柔らかく、とても口触りがいいです」と教えてくれた。

 ウクライナ東部ドネツク州バフムトのアートワイナリーの地下酒蔵で保管されるスパークリングワイン(撮影日時不明、アートワイナリー提供、共同)

 だが人口7万人ほどの誰もが顔見知りだった小さな町バフムトは執拗な砲撃でかつての面影は残っていない。工場の現状は分からない。ウクライナ軍の関係者は「要塞化した酒蔵に(ウクライナ軍の)兵士が立てこもっている」と証言するが、チェレドニチェンクさんは「ノーコメント」としか語らなかった。

 過去10年間、アートワイナリーは困難に直面し続けてきた。ブドウの調達地だったクリミア半島は2014年にロシアに併合され、産地の切り替えを余儀なくされた。2018年にそれまで輸出の5割を占めていたロシアがウクライナ産ワインの輸入を禁止した。ただ、輸出担当のナタリー・リセンコさんは「私はウクライナ軍(の勝利)を信じています。今回もわたしたち(の会社)は生き残ります」と決意は固い。

 ウクライナの首都キーウで、アートワイナリーの営業責任者チェレドニチェンクさん(左)とリセンコさんは製品の輸出拡大を考えている=2月6日(共同)

 侵攻直前に販売可能な数百万本を工場から運び出した。侵攻後の2月下旬、約500人の従業員をバスで逃がした。今は日本を含め、運び出したワインボトルの輸出先を開拓している。そして、技術者たちは南部オデッサ州で同品質のスパークリングワインの再現の研究に取り組んでいる。

 チェレドニチェンクさんは「人生は喜びと悲しみの繰り返しです。今は苦しい時だからこそ、私たちのワインで小さな幸せを感じてほしい」と事業継続の意味を語る。勝利の杯を我が社のワインで、とほほえんだ。

 激戦地バフムトで醸造されたスパークリングワイン。右側のボトルはクリミア半島産のブドウを使ったもの。ロシアに併合された2014年を最後に作られていない=2月6日、ウクライナの首都キーウ(共同)

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