春、“医療的ケア児”の卒業 「元気に産んでやれず自分を責めた。私の人生は介護で終わる…」でもその母の涙は笑顔に変わった

「医療的ケア児」という言葉をご存じでしょうか。たんの吸引などのケアが日常的に必要な子どもたちのことで、ほとんどは家族が介護しています。

医学の進歩で助かる命が増えている一方で、介護の負担の大きさも課題となっています。

18年間、懸命に娘の介護を続けてきた家族…。この春、支援学校の卒業を迎えました。

福田綾香さん、18歳。支援学校の卒業を前にこの日、最後の授業に出席しました。

「医療的ケア」が必要な綾香さんのそばには、いつも母親の美鈴さんがいます。

綾香さんの母 福田美鈴さん(44)
「外出するときは、たんを吸引する吸引バックだったり、呼吸がしんどくなったり、チアノーゼ(皮膚の青紫変色)が出たり、けいれんをたまに起こすことがあるので、そういうときはすぐにボンベを使って酸素を出せるようにしています」

医療的ケアが必要で手足を動かすことができる綾香さんのようなタイプは「動く医療的ケア児」と呼ばれ、かたときも目を離すことはできません。

たんが詰まらないように吸引するのは、母親である美鈴さんの役目です。小学部入学から12年間、2人で通った学校生活もいよいよ終わりです。

母 美鈴さん
「こんなしんどい子が学校で授業するってどういうことよって。かわいそう、学校なんて行かなくていいよって言ったんですけど。もと(当時)の校長先生が教育のために必要なんだよ、学校に行きましょうと声をかけてくださって」

広島市立広島特別支援学校 合田和広 校長
「この2年間だけでもすごく大きくなったね。(卒業するから)さびしいな」

「(綾香さんが卒業制作のペンをプレゼント)ありがとう。大事にします」

両親と3人暮らしの綾香さん。父親は仕事に出るため、どうしても母親である美鈴さんに介護の負担がかかってきます。

(2020年取材)
母 美鈴さん
「ごめんね。綾ちゃん、ミルク飲まんといけん。ちょっとごめんね」

気管切開で、口から食事ができない綾香さんのために、美鈴さんは鼻からチューブを入れて栄養を送り届けます。

チューブを引き抜こうとする綾香さんの動きを、全身を使って防ぎます。人工肛門から出た便をためる「パウチ」も気になって外そうとします。

母 美鈴さん
「パウチの袋を破って全部うんちが垂れ流しで、全部うんちまみれになることはしょっちゅうあります。綾香が生まれて1回の睡眠に3時間以上寝たことは、主人が交代してくれる週末以外ないです」

肛門が閉じた状態で生まれた綾香さんは、すぐに人工肛門の手術を受けました。自力での呼吸が難しいため、気管を切開し、のどから呼吸をしています。起き上がることはできず、重度の知的障害のため、言葉を交わすことはありません。

(3月取材)
母 美鈴さん
「重症児ですって告げられて初めて我が子と対面したときは、元気に産んでやれなかった自分を本当に責めました。私の人生は24時間365日、介護で人生が終わるんだって。何の楽しみもないんだって」

入院のたび、病室に泊まり込みで続く介護。1晩に100回を超えるたんの吸引。眠れない日々に体力は限界でした。

~美鈴さんのインスタグラムより~
「いちばん頑張ってるのは娘なのに。1日だけ寝させて! このままじゃあ、私過労死する! 娘を抱いて泣きながら病院にお願いした事もありました」

増え続ける「医療的ケア児」家族の負担 そして “チーム綾香” へ…

医学の進歩とともに増え続ける「医療的ケア児」。2022年、広島県が初めて実施した調査によると、自宅で暮らす医療的ケア児は、県内におよそ500人。介護をする家族へのアンケートでは、6割がまとまった睡眠がとれておらず、8割が「疲れている」と回答しています。

母 美鈴さん
「病院から退院したあとの医療的ケア、吸引とか吸入とかミルクの流動とか普通は医療従者、医師とか看護師がやることを何の資格もない母親がやるわけですから。やり方は習っては帰るけど、いざ一人でやろうと思ったらどうしていいのとか」

アンケートでは「介護者の負担が大きい」「短期入所などのサービスを増やしてほしい」という意見も多く、支援は追い付いていないのが実態です。

それでも18年になる介護の日々の中では、大きな出会いもありました。

年に何度も入退院を繰り返してきた綾香さん。4年前、在宅医療の医師と出会ってからは一度も入院せず、自宅で乗り越えてきました。入院や通院の負担が減ることは大きなメリットでした。

最近、うれしい変化もありました。

たんの吸引をする介護福祉士 西田和貴さん
「たんはないですね」

綾香さんの担当ヘルパーが、たんの吸引ができるようになったのです。ヘルパーが吸引をするには、広島県の研修を受ける必要があります。

訪問介護セカンドハウス 介護福祉士 西田和貴さん
「近所のスーパーの買い物にも行けないというご家庭がけっこうあるので、本当に一人でも多くの医療的ケアに関わる人が増えないと、普通の生活をするのが本当にしんどいと思うので」

この制度を利用して、家族に代わって吸引ができるようになったおかげで、少しだけ美鈴さんに自分の時間ができました。

支援学校への登校に続き、学校の先生が自宅を訪れる「訪問学級」も最後になります。

自宅を訪れた先生
「これからがんばったね会を始めたいと思います」

修学旅行にも参加した充実した12年間でした。綾香さんと家族を、医師・訪問看護師・ヘルパー、そして学校が1つのチームとなって支えています。

母 美鈴さん
「“チーム綾香” じゃないですけど、スポーツと一緒でチームだと思うので、本当、ただただ、がむしゃらに介護する毎日だったけど。ご縁がご縁をつないでもらってチームが大きくなって家族で笑顔で過ごせる日ができて」

自宅を訪れた先生
「よくがんばりました」

支援学校を卒業した後、綾香さんが日中、どこで過ごすべきか―。美鈴さんは悩んでいました。受け入れてくれる施設は多くはありません。

広島特別支援学校の 合田和広 校長は、「障害が重ければ重いほど、重度であればあるほど、受け入れ先は少なくなってきます。美鈴さんは自分が納得できるような事業所を真剣に探していらっしゃる。私はそういう気がします」と話します。

美鈴さんは、今すぐには答えは出さず、自分たち家族のニーズにあった安心して預けられる居場所をもう少し考えてみることにしました。

母 美鈴さん
「綾香が自分のここならっていう道を見つけるための留年。この子にとって一日一日、幸せに生きていくためにはどうしてあげないといけないかなっていうのを、もうちょっとじっくり夫婦で考えたいっていうのもあります」

母 美鈴さん 撮影用の収録マイクを手に
「やった! 貸してもらい! いいって。すごい。いい時間。いい経験させてもらったね。写真残して、先生! こんな経験できんですよね。ちょっとママも持たせて」

次の居場所が見つかるまで、綾香さんは日中も自宅で過ごします。そして美鈴さんは、そばで見守り続けることになります。

~美鈴さんのインスタグラムより~
「重い障害を伝えられた時の衝撃。気管切開をする決断。医療的ケアを一人でする不安。涙・涙の毎日が、皆で支えあい笑顔に変わって今日がある事が何よりも嬉しい!!』

美鈴さんの次の目標は、綾香さんと「二十歳のつどい」に出席すること。いつかは家族で海外旅行にも行きたい…。

綾香さんを、家族とその周りが一緒になって支える “チーム綾香” の存在が、これからも必要です。

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【取材を終えて】
医療的ケア児は学校も病院もどこへ行くにもとにかく24時間つきっきりで介護が必要で、家族の負担をどうやったら減らせるか本当に大きな課題です。

家族が休める「レスパイト」が必要だと言われていますが、泊まりで預かってもらったり日中に預けたりできる施設はまだまだ十分ではありません。

綾香さん卒業後はしばらく自宅で一緒に過ごすことを決めた美鈴さんですが、「では自分たち家族が歳をとったときはどうすればいい?」と不安は尽きないといいます。

実は医療的ケア児をめぐっては全国的な動きがあって「医療的ケア児支援センター」というのが各都道府県に設置されています。

広島県でも新年度にこのセンターを設置して、家族の相談にのったり(医療・福祉と幅広く関わる問題なので)関係機関との調整にあたったりすることになります。

「医療的ケア児」をめぐる課題を多くの人に関心をもってもらうこと、社会の支援体制が整うことを願います。

中国放送(RCC)報道制作センター 森元たか子

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