那須雪崩事故「自分で考える」教訓に 命に寄り添う保健師へ一歩 事故発生から6年 当時講習会参加の中丸さん

那須雪崩事故が起きた当時に着ていたレインウエアを手にする中丸さん=18日午後、那須塩原市

 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会中に大田原高山岳部の生徒7人と教諭1人の命が奪われた雪崩事故は、多くの人たちの人生を変えた。当時、矢板東高1年の山岳部員で講習会に参加していた那須塩原市出身、中丸奏(なかまるかな)さん(22)もその1人。雪崩の被害は逃れたが、心に大きな傷を負った。それでも事故を通じて「人に任せず自分で考える大切さ」に気付き、大好きな山と向き合ってきた。雪崩事故の発生から27日で6年。命に寄り添う人になろうと、4月から保健師として歩み始める。

 「同じ高校生が犠牲となった。忘れないし、他の人にも忘れてほしくない」。3月中旬、那須塩原市内。当時着ていたピンクのレインウエアを前に、中丸さんは「あの日」を語った。

 「雪崩だ」。突然、近くの引率教諭の無線から叫び声が聞こえた。17年3月27日朝、那須町内のスキー場。県内の7高校が参加した登山講習会で、中丸さんの班はゲレンデで休憩中だった。吹雪で視界が悪く、上方の斜面にいた他班の状況は全く分からなかった。

 スキー場のセンターハウス周辺まで戻ってきて目にしたのは、タンカで搬送される生徒、大声を張り上げる医療従事者-。「まるで戦場のようだった」

 犠牲者が出た大田原高山岳部員とは、同じバスで大会会場に行くこともあった。事故後。搬送される生徒たちの姿がフラッシュバックした。同じ高校生が亡くなった悔しさと悲しみで、眠れない日が続いた。

 それでも、幼いころから好きだった山からは離れられなかった。向き合い方を変えた。事故前は顧問や先輩の話をうのみにすることが多かったが、「自分自身でも考えるようにした」。それが事故の教訓だった。

 山岳部の部長となり、けがの処置や天気図に理解を深める座学を増やし、全部員で学んだ。もう誰も事故に巻き込まれないようにしたかった。山で医療活動をする「山岳看護師」を目指したこともあった。

 大学に進んでからも、山岳事故防止の講習会に参加し山を学び続けた。2年生の時には事故以来4年ぶりに那須岳に登った。幼いころから慣れ親しみ、事故直後は恐怖を抱いた山。美しさと魅力を改めて感じた。

 看護学部を卒業し、今月24日には看護師と保健師の国家資格に合格。今春から県内で、保健師として社会人生活をスタートさせる。「自分の経験を生かせるはず」と信じて、命と健康に携わっていく。

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