<レスリング>【特集】45歳の挑戦はならなかったが、「いま好きなことをやるのが、一番幸せ」…岩井一師さん(カナダ在住の日体大OB)

 

(文=布施鋼治)

 45歳の挑戦は、はかなく散った。

 3月12日、カナダ・オンタリオ州ウォータールーで行われた「全カナダ選手権」最終日。日体大出身で同地在住の岩井一師(かずのり)さんは、男子グレコローマン82㎏級に出場した。

 「調べてみたら、2005年の岡山国体以来18年ぶりの大会出場でした」

 この階級は4選手の参加だったのでリーグ戦で争われ、岩井さんは0勝3敗で予選敗退を喫した。最初の2戦は接戦だったと言う。

 「初戦は残り10秒くらいまで勝っていたんですけど、逆転されてしまった。2試合目も勝っている試合だったけど、同じように負けてしまった。3試合目はバッティングもあったりして3コーションで負けてしまいました」

 敗因について聞くと、岩井さんは「言い訳になってしまいますが」と前置きしたうえで、調整した期間が今年になってからと短かったことと、当日計量という慣れぬシステムでマットに立ったことを挙げた。

 「特に当日計量は、僕にとって初めての経験だったので、頭では理解していても前日計量の感覚で準備していたんだと思います」

▲全カナダ選手権へ出場した岩井一師さん(本人提供)

試行錯誤の連続だったカナダでの生活

 前回、岩井さんがこのサイトに登場したのは2016年のリオデジャネイロ・オリンピックのときだった(関連記事)。当時は広島商船高専の准教授だったが、「在外研究システム」という制度でカナダを拠点に活動しており、リオデジャネイロには見聞を広めるために足を伸ばしていた。

 それからずっとカナダに? 「カナダを気に入っていたので、何とか残ろうと思っていました。そして試行錯誤の末、ようやく今年になってからレスリングの活動を再開することができるようになりました」

 当初は育休をとって1年間滞在を延長したが、事は思うように進まない。地元のコンサルタントからは「日本では准公務員としての仕事があるのだから帰国した方がいい」と薦められた。岩井さんは首を縦に振らなかった。

しかしながら、カナダではワークパミット(就労ビザ)がないと働けない。そうした矢先、運よく現地で立ち上がった日本人の就労を求めていた企業に採用された。

 「経験もないのに部長職で採用されました。ただ、“自分はカナダまで来て何をやりたいのか?”という葛藤はつねにありました」

 2020年春、そんな岩井さんに新型コロナウイルスが容赦なく襲いかかる。カナダ政府は毎年何十万という移民や難民を受け入れる寛容な国ながら、コロナによって受け入れはすべてストップしてしまった。

▲46歳で試合出場を果たした岩井さん(本人提供)

「人生は一回限り。過去には戻れないし、未来にも行けない」

 だが、事態は思わぬ展開をみせる。「カナダ国内にいる、私のような立場の外国人9万人にPR(パーマネント・レージェンシー=永住権)を出すことになったんです」

 まさに不幸中の幸いだった。一昨年の年末、岩井さんは念願のPRを取得した。「世の中がコロナになっていなかったら、僕はカナダに残れていなかったと思います」

 会社員として多忙だったので、2018年から4年ほどレスリングマットから離れざるをえなかった。

 「毎日仕事で疲れていたので、練習どころではなかった。ただ、そういうときでも、PRをとったら道は開けると信じていました」

▲試合後、関係者と話す岩井さん(本人提供)

 現在の本職はパーソナルトレーナーだ。そのかたわら、今年1月からはトロント郊外のウエスタン大学レスリング部のコーチに復帰した。「ようやく本来のスタート地点に立ったという気がします。人生は一回限り。過去には戻れないし、未来にも行けない。だったら、いま好きなことをやるのが一番幸せだと思いますね」

 45歳の挑戦は幕を閉じた。岩井さんは「試合前は、今回でやめようと思っていた」と打ち明ける。「でも、ひとつも勝てなかったということは悔しい。カナダのある関係者は『46歳のチャレンジを期待しています』と肩をたたいてくれた。いまは、46歳の挑戦という方向に目が向いています」

 1年後の再挑戦とともに、岩井さんはカナダではフリースタイルの影に隠れがちなグレコローマンの種をコーチとしてまこうとしている。

▲全カナダ選手権。来年も、このマットに岩井さんが立っているか(本人提供)

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