狙われた海の道しるべ 軍事施設ではない灯台も攻撃 佐世保・古志岐島灯台 第2次大戦中

佐世保市宇久島の北東約4キロに位置する「古志岐島」にある「古志岐島灯台」。第2次大戦では空襲被害を受けた(佐世保海上保安部提供)

 長崎県佐世保市宇久島の北東約4キロの沖合にある無人島「古志岐島」は、地元では有名な釣りスポット。ただ、島にある「古志岐島灯台」は日清戦争に先立って建造され、第2次世界大戦では空襲を受けた。軍事施設ではない灯台も攻撃の対象となる戦争の現実が垣間見える。
 公益社団法人「燈光会」が発行する機関紙「燈光」などによると、古志岐島灯台は日清戦争間近の1894年、海軍省の要請で九州の北岸と西岸に建てられた5基の一つ。早期完成の要望を受け、わずか約6週間後の同年9月に点灯した。佐世保や下関から黄海に進む艦船の航行に貢献したという。
 ただ、航海で必要不可欠な灯台は、第2次世界大戦では米軍の攻撃対象になった。佐世保海上保安部に保管されている資料「古志岐島灯台戦災被害調査記録」によると、1945年7月7日午後4時5分、B29など計15機が南東の上空から侵入した。
 〈初撃(銃撃)ニヨリ燈台附属貯油室貯油缶ヨリ発火(一部略)其間銃撃続キタルヲ以テ消火手段ヲ講ズルノ餘地ナク〉
 翌8日午後4時10分。
 〈大型(飛行艇)一、小型二、計三機南方上空ヨリ進入 偵察ノ後 機銃一斉射ヲ受ク。損害ナシ〉
 灯台や付属する施設は全焼したが、勤務者2人は無事だった。
 宇久島の平村にあった灯台事務所と宿舎も7日に攻撃を受けた。灯台長や技手の家族ら4世帯が暮らし、3~11歳の4人の子どももいたが、人的被害はなかった。同日の空襲では、島内の国民学校も攻撃された。この約1週間前には多くの犠牲者が出た佐世保空襲も起きていた。

空襲被害に遭った古志岐島灯台の記録を見て「戦争の狂気を感じる」と話す山田部長=佐世保市干尽町、佐世保海上保安部

 資料を読んで分析した佐世保海保の山田隆司部長は、灯台や宿舎への攻撃は「場当たり的な選定ではなく、灯台の運用施設を当初から目標にしていたのだろう」とみる。今年2月で1年を迎えたロシアのウクライナ侵攻でも、軍事施設だけでなく民間施設も攻撃対象となった。「関係のない子どもなど民間人も狙われたのは、ウクライナ侵攻にも通ずる。当時の記録から、戦争の狂気を感じた」と語気を強めた。
 古志岐島灯台は1978年に太陽電池化され無人の灯台になった。年に1度、佐世保海保の職員が点検に訪れている。「海に出る人にとっては不可欠な存在。宇久と佐世保を結ぶフェリーなど、海に関係する人々にとっては、大切な道しるべだろう」。古志岐島灯台は今日も、海を行き交う人々を見守っている。

古志岐島

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