間が抜けている

 「間(ま)」には〈邦楽で調子や拍子が移り変わる大事なところ〉という意味があるらしい。なるほど、リズムやメロディーが妙な感じに聞こえそうだ、〈間が抜けている〉とか〈間が悪い〉などの言葉はここから来ている▲思えば、ウクライナに届けられた「必勝のしゃもじ」がこう見えてしまうのは、言語の壁のある相手に〈敵をメシ捕る〉という言葉遊びは通じるのか、それが受け入れられる状況か、と一瞬立ち止まって考える「間」が欠落しているからかもしれない▲岸田文雄首相のウクライナ訪問は「できないのなら外務省なんかいらない」と声を荒らげた指示の下、情報漏れに対して徹底的に神経をとがらせながら実施された。舞台裏の検証記事が日曜日の紙面にあった▲しかし、訪問の舞台裏が緊迫していればいるほど、緊張感が語られれば語られるほど、そこに持参された少し大ぶりのしゃもじの場違い感は際立っていく。誰も疑問は感じなかったのか、疑問を口にしなかったのか、と▲外交の慣例として、地元名産の土産をよく持って行く-と首相は国会で語った。ならば、これまでも、これからも…。もちろん、しゃもじには何の罪もない。問われるべきは首相の選択とセンスだ▲「間違い」は正されなければならない。あ、この「間」も同じ語源だ。(智)

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