諫干訴訟 控訴棄却 漁業者「開門諦めない」 国と司法に憤り

自宅前で古里の海を見詰める石田さん=10日、雲仙市瑞穂町

 国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防を巡る司法判断が「非開門」で統一された中で下された28日の第2、3陣訴訟控訴審判決。漁業者は開門を諦めず、非開門派からは安堵(あんど)の声が漏れた。有明海再生への道筋はなお見えない。
 「国は諫早湾の現状を理解していないし、理解しようともしない。開門命令にも従わなかった国の態度を容認する裁判所も、何のための司法なのか」。自宅で控訴棄却の知らせを受けた雲仙市瑞穂町の原告、石田徳春さん(85)が語気を強めた。本来は法廷で直接国側と向き合い、判決を聞きたかったが、高齢の身にそれはかなわなかった。
 手元に手書きの古いメモが残る。組合長を務めた瑞穂漁協(合併で現在は諫早湾漁協)時代のアサリの水揚げデータ。潮受け堤防閉め切り前年の1996年に漁協全体で年間120トンあった水揚げ高は、2007年には8.7トンにまで落ち込んだと記されている。漁獲低迷の記録として大事に持ち続けてきた。
 懐かしく思い出す光景がある。閉め切り前、毎年5月ごろになると、産卵にきたグチが「グーガ、グーガ」と大合唱した。この辺りの春の風物詩だった。「それが今は『グー』も聞かんね」。寂しげにつぶやく。
 その鳴き声が一時、復活したことがある。閉め切り前は干潟だった調整池に海水を入れた02年の短期開門調査。「あの時はコノシロもかかった。開門して潮の流れが元に戻れば、魚は帰ってくるのだと確信した」
 開門命令を履行しなかった国にも、それを容認する裁判所にも憤りは収まらない。共に闘ってきた仲間たちは海の回復を見届けないまま旅立っていった。「悔しかっただろうね。国はまるで開門派漁業者が死ぬのを待っているかのようだ」。豊かな海が戻る日は来るのだろうか。いや戻さなければ-。「開門は諦めない」。決意あらたに古里の海を見詰めた。
 「判決が(閉め切りと漁獲減少との)因果関係を認めたのは当たり前」。原告でただ1人、法廷で判決を聞いた諫早市小長井町の平田勝仁さん(57)は表情を緩めることなく語った。
 2人の息子は漁業以外の仕事に就いた。長男が中学時代、漁業を継ぎたいと言い出した時、「漁師になってなんすっとか。先が見えんとに」と思いとどまらせたのは、ほかならぬ父親の平田さんだった。
 国は有明海再生に向けた漁業者との話し合いに応じる意思を示してはいるものの、「非開門」の方針は堅持しており、協議開始さえ見通せない。「開門でしか古里の海は取り戻せない。これからも開門を求めていく。その思いは変わらない」。言葉に力を込めた。

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