元鹿島アントラーズの本山さんが現役引退 ホーム戦前のトークショーで報告

現役引退を発表し、鹿島サポーターが詰めかけるスタンドを花束を手に見上げる本山雅志さん=カシマスタジアム

サッカーのJ1鹿島アントラーズで活躍したMF本山雅志さん(43)が1日、マレーシアでプレーした昨季をもって現役を引退したことを明らかにした。鹿島に所属した18年間で得たタイトルはリーグ戦6回、カップ戦5回、天皇杯3回。技巧派としてピッチを彩り、輝かしい功績を残した。同日、鹿島のホーム戦前に開かれたトークショーで引退を報告し、本山さんは「さまざまな人に支えられ、ここまでやってこられた」と感謝を述べた。

福岡県出身で、1998年に鹿島加入。同期に小笠原満男さんや曽ケ端準さん、中田浩二CROら、クラブのレジェンドがそろう。U-20(20歳以下)日本代表としても世界選手権準優勝を果たし、黄金世代の一人として一時代を築いた。

鹿島では2000年にスーパーサブとして頭角を現し、18試合でキャリアハイとなる6得点を挙げた。00年と01年はリーグ戦連覇に貢献。02年からはビスマルクから背番号10を継承し、意外性のあるドリブルやパスで観衆を沸かせた。

本山さんとトークショーに参加した中田CROは「モト(本山)のプレーを見て鹿島を好きになった人もいると思う」とたたえた。

タイトル獲得に大きく貢献した07年の活躍は記憶に新しい。優勝を争う首位浦和との第33節は前半42分に退場者が出た。左サイドバックにポジションを変えて奮闘し、白星を得た。最終節の清水戦では後半3分にミドルシュートで貴重な追加点を挙げ、リーグ制覇の原動力となった。

09年までのリーグ戦3連覇も中心選手として支えた。その後もチームに欠かせない存在であり続けたが、15年にリーグ戦6試合の出場にとどまると、「もっと選手としてやれる」とJ2北九州への移籍を決断。21年からはマレーシアへと活躍の場を移していた。

リーグ戦で重ねた試合数は365試合、38得点を記録した。鹿島の選手として戦った試合数としては、4番目に多い。今後については「今までサッカーしかやってこなかったので、いろんなことにチャレンジしたい。鹿島が好きなので、一緒に何かできればとも思う」と話した。

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