『HKS CLK』最高峰へ挑んだHKSオリジナルの“先行車”【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、2002年の全日本GT選手権を戦った『HKS CLK』です。

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 ニッサン、トヨタ、ホンダの3大メーカーワークスのマシンたちのみが、しのぎを削るようになって久しいSUPER GTのGT500クラス。だがかつて、特に全日本GT選手権(JGTC)時代にはそれらのマシンたちに加えて、プライベーターが走らせる外国車もGT500クラスへと挑むことができていた。今回紹介する『HKS CLK』もそんな1台で、いまから21年前の2002年の全日本GT選手権に参戦したマシンだった。

 エントリー名の通り『HKS CLK』とは、チューニングパーツメーカーであるHKSが製作した1台で、メルセデス・ベンツCLKをベース車両としていた。国産車であるとホモロゲーションの問題があること、そしてHKSがオリジナリティを発揮して戦える車両ということで、外国車のさまざまな車種が検討された結果、CLKがベース車両として選ばれた。

 この時代のCLKというと、どうしてもドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)の車両との関連性を考えてしまうが、このCLKはそれとは関係なく、HKSのオリジナルで作られた車両だった。メルセデス本社に協力をとりつけることも検討されたようだが、それは叶わなかった。パーツが供給されることもなく、すべて購入して仕立てられていったマシンだったのだ。

 加えてこの『HKS CLK』は、2003年からスタートする新車両規定を先取りした特認車両として開発されていた。そのため、キャビン前後のパイプフレーム化やサスペンション形式の変更、さらにミッションとデフが一体となるトランスアクスル化などのメニューが、盛り込まれていた。そのためこの車両は、CLKのフォルムをしたオリジナルGT500マシンといったほうが正しいだろうか。

 エンジンは、5.0リッターの4バルブV型8気筒を搭載。このエンジンは、かつてメルセデスのグループCカーやGT1マシンなどのベースになったもの。そもそもが1990年代初期に作られたエンジンだったため入手に難航したが、なんとか手に入れてチューニングが施され、シミュレーションで想定したパワーを絞り出すことに成功。またこのエンジンにはヒューランドの6速ミッションが組み合わされている。

 そして、『HKS CLK』はさまざまな紆余曲折を経て完成した。まず、2002年の富士スピードウェイで行われた第2戦の舞台に登場。このラウンドでは、練習走行のある金曜日にサーキット入りし車検を受け、ぶっつけ本番で予選を走ることを計画していたが、トラブルが発生して、頓挫してしまう。

 続く第3戦のスポーツランドSUGO戦でも金曜日の練習走行でエンジントラブルが発生。その後の走行ができない事態となってしまった。その後、マレーシアのセパンサーキットで開催された第4戦と富士スピードウェイが舞台の第5戦を回避したため、次にエントリーしたのは第6戦のツインリンクもてぎ戦だった。

 この第6戦では予選不通過となってしまったが、決勝日朝のフリー走行での競技長判断で決勝進出が認められ、レースを戦うに至った。結局そのレースでは、わずか3周でエンジントラブルによりリタイアしてしまうものの、最初の1歩をようやく踏み出した瞬間だった。

 MINEサーキットでの第7戦ではクラス最下位ながら予選は通過し決勝へ挑むも、7周でまたもエンジントラブルのためにレースを終えた。迎えた最終戦、鈴鹿サーキットラウンド。ここで『HKS CLK』は、トップから4周遅れながら初めての完走を果たす。戦闘力不足は否めない状況ではあったが、ゆっくりながらも少しづつ前進をして初めてのシーズンを終えた。

 しかし、この2002年を最後に『HKS CLK』のプロジェクトは終焉を迎えてしまう。翌2003年の規定を先行して導入した車両であったにも関わらず、その2003年シーズンを戦うことはなかったのだ。

 確かに結果は残らなかったかもしれない。しかし初期JGTCではない、すでにメーカーワークスの技術競争が激しさを増していたこの2000年代初頭にオールオリジナルのGT500マシンを作ったHKSの挑戦は、偉大なるものだったと言えるだろう。

ツインリンクもてぎで開催された2002年の全日本GT選手権第6戦を戦ったHKS CLK。山西康司と五十嵐勇大がドライブした。

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