大谷の胴上げ投手は“あうんの呼吸”、「一瞬にかけるすごさ出た」 WBC栗山監督インタビュー

 帰国の記者会見で笑顔を見せる栗山英樹さん=3月23日、千葉県成田市

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表監督として3大会ぶり3度目の優勝に導いた栗山英樹さんが大会後、共同通信のインタビューに応じ、メンバー選考や各選手の評価を語ってくれた。日本ハム監督時代からの師弟関係にある大谷翔平(エンゼルス)とは、起用で“あうんの呼吸”があったことも披露した。(共同通信=浅山慶彦)

 ▽一番、俺が無理させられる選手は…

 インタビューに答える栗山英樹さん=2023年3月、東京都内のホテル

 ―決勝はスター選手がそろう米国戦だった。
 「憧れていたメジャーリーグと本当に勝負できるんだ、と。駄目元で、がむしゃらに勝負できると思った。あとは攻めダルマになるだけ。攻め続けることは俺が一番、得意なところ。楽しく、わくわくしていた」

 ―7投手による継投はイメージしていたのか。
 「(米国戦までの試合で)どんなにいい球を投げていても、(山本)由伸(オリックス)でも(佐々木)朗希(ロッテ)でも4イニング目にはつかまっていた。短く、短くつないでいかないといけないというのは、戦いながら分かっていた」

 ―代表選考から本格派の投手をそろえた。
 「あれだけの打者を抑えるには、強い球を投げられないと簡単じゃない。かわすというのは難しいと思っていた」

 ―八回をダルビッシュ有(パドレス)に託した。
 「本当はアメリカでは投げないと2人で決めていた。ただ、調整を含めて気持ち的に投げるとなれば、いつでも言ってと伝えていた。決勝戦の当日の練習で『いけます』と。それで八回にいくぞとなった」

 ―胴上げ投手は大谷。
 「一番、俺が無理させられる選手は、やっぱり翔平。最後、お願いしますとか、そういう話はしていない。言葉にしなくても、どこで投げるのか分かっていますよね、という空気感」

 WBC日本代表に選ばれた大谷翔平(左)と握手する栗山英樹さん=1月、東京都内

 ▽あんなに気持ちが熱いとは思わなかった
 ―大谷は感情むき出しでのプレーが続いた。
 「エンゼルスでは、ああいう展開になかなかならない。翔平はこれがやりたかったんだと思うな」

 ―投打で大活躍した。
 「全てのことを忘れて今の一瞬にかける、そういう時に翔平のすごさが出てくる。ああいう状況にならないと、そうならない。(本人も)うれしかったと思う」

 ―当初からチームの軸として考えた源田壮亮(西武)は大会中に負った右手小指骨折を押してプレーした。
 「骨折しているわけだから大変だったと思う。でも、すごかった。あんなに(気持ちが)熱いと思っていなかった。日本の歴代のショートで一番うまい。その選手がいなくなるのは、すごく大きなことなので」

 WBC日本代表キャンプで打撃練習終了後の村上宗隆(右)と言葉を交わす栗山英樹さん=2月、宮崎

 ―「選手を信じる」と言い続けた。不振が続いた村上宗隆(ヤクルト)も準決勝で逆転サヨナラ打、決勝は豪快アーチ。
 「自分が駄目でも、必死になってみんなを応援している姿はとてもすてきだった。だから、こっちも我慢する。これだけ苦しんだこと、翔平を見たことは、すごく意味があったと思う」

 ―本塁打で効果的に得点を奪うなど、小技に頼らない攻撃ができた。
 「世界中のいろんなチームから(メジャーの)エース級の投手が(各国・地域の代表として)出てきた時にどうなのか、というのはまだ分からない。アメリカでやっている打者が多くなることで、世界のトップレベルが普通になる。レベルアップするのはこれから」

 ▽日系選手の代表選出は、もう普通に
 ―けがで出場を辞退した鈴木誠也(カブス)も含めると、大リーガー5人が代表入り。今後へつながる選考だった。
 「日本のいい選手はWBCに出ないといけない、みたいな空気を少しだけ生み出せたのは良かった。メジャーの人たちは出るのが難しいというような空気はぶち壊したかったので」

 ―ラーズ・ヌートバー(カージナルス)を日系選手で初めて選んだ。
 「6、7人に声をかけて、最終的に2人に絞った。もう一人は資格の問題で駄目で、ヌートバー1人になった。(最初は)2人とも代表に入れようと思っていた」

 ―チームが活性化した。
 「日本代表はこのレベル以上じゃないと駄目なんだというのを示したかった。みんな、いろいろと言っていたが(ヌートバーの実力は他の候補者よりも)全然上」

 ―今後、日系選手を選出しやすくなった。
 「その形をつくることを最初にやるのは大変だけれども、もう普通にみんな考える」

 記念写真に納まる(左から)ラーズ・ヌートバー、栗山英樹さん、ヌートバーの母久美子さん、父チャーリーさん=3月21日、マイアミ

 ―大リーガーの試合出場が大会直前の強化試合から、といった制約が多かった。
 「練習に参加するだけでも(保険の)お金がかかる。1日練習するだけでも。こちらからお願いをして練習できるようになって。なら、試合に出てもいいと思った」

 ―運営上の問題に対し、監督自ら先頭に立って声を上げた。
 「何が駄目なのかというのを、現場の感覚を、全体が理解できないと分からないと思う。騒がないと、暴れないと、何も伝わっていかない」

 ×  ×  ×
 栗山 英樹氏(くりやま・ひでき)東京・創価高―東京学芸大からドラフト外で1984年にヤクルト入団。外野手として89年にゴールデングラブ賞に輝く。90年に現役引退。2012年に日本ハム監督就任1年目でリーグ優勝。16年は日本一に導き、21年限りで退任。21年12月に日本代表監督に就き、第5回WBCで14年ぶりの世界一。大会後に退任を表明した。1961年4月26日生まれの61歳。東京都出身。

© 一般社団法人共同通信社