サッカー史上最も奇妙な「背番号10」だった8人

今日は4月10日。ということで、一風変わった背番号10だった選手たちをあらためて紹介しよう。

クリスティアーノ・ルパテッリ

イタリアのユース代表経験も持っていた実力派キーパー。

キエーヴォ・ヴェローナ時代にはGKにもかかわらず、10番をつけた。ルイージ・デル・ネーリ監督のもとでビッグセーブを連発して“ミラクル・キエーヴォ”の立役者となった人物でもある。

当初はジョークだったものの、賭けに勝ってこの番号を着けることになったとか。その後、ローマでは3番も着用した。

44歳になった現在はペルージャでGKコーチを務めているようだ。

イグナシオ・ゴンサレス

元アルゼンチン代表GK。1997年のコパ・アメリカで、GKにもかかわらず代表10番を着けた。

同時期にW杯予選が行われていたため、この大会のアルゼンチンはBチーム編成(実質二軍)だったとか。

チームの指揮を執ったのも、代表監督のパサレラではなく、アシスタントのサベーラだった。

名前のアルファベット順で背番号を決めたため、GKだった彼が偶然にも10番を着けることになったというわけ。

ダニエウ・アウヴェス

39歳にして昨年末のワールドカップにも出場したブラジル代表DF。

CB以外ならほどどこでもプレーできるほどのサッカーIQを誇り、背番号10をつけたサンパウロでは、中盤でもプレーした。

史上最もタイトルを獲得した選手としてレジェンドと呼べる存在だったが、現在は性的暴行容疑で拘留中。

ウィリアム・ギャラス

チェルシー、アーセナル、トッテナムとロンドンのビッグクラブで活躍した元フランス代表DF。

アーセナルに加入した際はなぜか10番を選んだことで周囲を驚かせた。

後年に「娘が11月10日に生まれていたし、もし若い選手に10番が与えられていたら、大きなプレッシャーがかかってしまうからね」とその理由を語っている。

ポール・ポグバ

今季、古巣であるユーヴェに戻ってきたフランス代表MF。

10番タイプではないため、カルロス・テベスが退団した2015-16シーズンにこの番号を託された時は驚きだった。

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「偉大な選手たちが背負ったこの10番を着るのは光栄だ」と話していたが、プラス5と書き込む謎めいた行動も話題に。現在も10番を背負っている。

ケニー・ララ

川島永嗣とともプレーした秀英右サイドバック。

DFにもかかわらず、2020-21シーズンのストラスブールで背番号10を着用した。

3部から成り上がり、20代後半になってリーグアンのベストイレブンに選ばれるなどリーグ屈指の存在に成長。ブレストでプレーする現在は愛着のある27番をつけている。

ラサナ・ディアラ

アーセナルやチェルシー、レアル・マドリー、PSG、マルセイユなどでプレーした元フランス代表MF。

2009~2011シーズンにレアルで10番を背負った。トップチームの背番号が25番と決まっているリーガならではの出来事で、レアル史上に残る奇妙な10番ともいえる。

2011-12シーズンに10番はメスト・エジルの手に渡り、ラスは24番に変更した。

中山 雅史

最後は日本人枠。三浦カズと並び、日本サッカー史上に残るストライカーとして今なお敬愛されているゴン中山。

ジュビロ磐田の黄金期を支えた彼の背中にはいつも9番があり、日本代表が初出場した1998年ワールドカップでも9番を付けて参戦した。

しかし、母国開催の2002年大会では“精神的支柱”としての滑り込み選出だったため、中村俊輔の落選によって空席となった10番を付けることに。中田ヒデなどから「似合わない」とからかわれた逸話も。

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