好調ヴィッセル神戸、DF山川哲史が今アツい!「トップ昇格を断ったワケ」「筑波大学だから学べたこと」

早くも7節が終了した2023シーズンの明治安田生命J1リーグ。ヴィッセル神戸は5勝1分1敗で単独首位に立っている。

残留争いに巻き込まれた昨季、3度目の指揮となる吉田孝行監督のもとでチームは終盤に5連勝を達成するなど13位でJ1に残留。もともとタレント的にはJリーグでも上位であり、このオフに的確な補強を行ったことでより実践的なチームに仕上がり、見事スタートダッシュを切ることに成功した。

そんな好調の神戸において、開幕から全試合にフル出場している選手の一人が大卒4年目のDF山川哲史だ。

神戸のアカデミーで育ち、トップ昇格を打診されながら筑波大学へ進学。プロ1年目の20020シーズンこそ5試合の出場に終わったものの、右サイドバックとして経験を積みながら着実に力をつけ、今季は菊池流帆の長期離脱もあり本職のセンターバックでチームの快進撃に大きく貢献している。

また、山川は筑波大学時代、現日本代表の三笘薫と同級生で、実は2人は1年の時からずっと練習後に1対1をやり続けていた仲でもある。間違いなくこれまで一番多く「三笘と1対1で対峙したプレーヤー」だろう。

そこでQolyは、今や神戸の主力選手となった25歳に単独インタビューを実施!

インタビュー第1弾では、同じ尼崎市出身の堂安律や、トップ昇格を打診されながら大学進学を選択した理由、筑波大学での成長などを中心に聞いた。

(取材日:2023年2月16日)

――今季はプロ4年目のシーズンになります。オフはどんなことを意識して準備してきましたか?

最後の試合の前日練習でふくらはぎを肉離れしてしまって、2ヵ月間オフがありましたが1ヵ月くらいは毎日クラブハウスへ来てリハビリしていました。そこのケア、怪我をまずは完全に治すというところがメインでした。

僕の今年、チャレンジというかオフにやってみたこととして、これまではオフの期間中にトレーニングをやりすぎて足がどこか不調な状態でキャンプインしてスタートしている感じがありました。

そこを自分の中で少しコントロールして、足のどこにも異変がないようにやったつもりです。

――長いオフの間にワールドカップが開催されました。ワールドカップは観られましたか?

もちろん観ました。

――ワールドカップを観てどんなことを感じていました?

同年代の選手たちが活躍していて、やっぱり「羨ましいな」というのが率直な気持ちでした。

サッカーをやっていれば誰もが目指す、世界のトップレベルの場だと思います。そこでしっかり日本のために戦って、グループステージも突破してというのはすごいなと思いましたし、「自分もいつかはあそこには立ちたい」という気持ちになりました。

――気になった選手や目を引いた選手は?

やっぱり同期としてちょっと違った目では見ていたので、三笘薫選手の活躍は素直に嬉しかったです。

――もう一人、同じ尼崎出身で1歳年下の堂安律選手も出場していました。彼のことは小学生とかそういう頃から知っていました?

同じ「クーバー」というサッカースクールに通っていて、曜日は違ったんですけど多分お互いに知っているみたいな感じでした。

そんなに仲がいいとかすごく話したことがあるというわけではないですが、彼がガンバ大阪のアカデミーで、僕はヴィッセル神戸のアカデミーで、いつも試合してきたのでお互いに知っているみたいな感じだと思います。

――ワールドカップでの彼のプレーを見て感じたところなどありました?

やっぱり他の選手と違って、試合の前から結構自信のあるコメントをするというか。自分にプレッシャーをかけているのかは分からないですけど。

そういう他の選手とは違ったコメントする中で、結果をしっかりと残したところは年下ですけどすごく勝負強いというか、カッコいいなと思いますね。

――ここからアカデミー時代について伺えればと思います。まず山川選手は尼崎市出身です。すぐ隣が大阪府、しかも万博も近い場所だと思うのですが、ガンバ大阪との距離感とかは子供の頃いかがでした?

そんなにプロの試合を多く観に行ったわけではないですけど、サッカーの試合を観に行くとなったら親の影響もあってヴィッセルよりもガンバの試合を観に行くことが多かったですね。

――中学校からヴィッセル神戸のアカデミーに入りました。神戸のアカデミーは中学から寮生活ですか?

中学生の時は実家から通って、高校から寮生活でした。

――実家から通うのは大変だったのでは?

中学生の時の練習場は王子公園という場所で、三宮より少し大阪側でした。僕は電車で通っていたのでそんなに大変ではなかったです。

――神戸のアカデミーで6年間を過ごしてどんなところに良さを感じました?

当時からやりたいサッカーが統一されていて。アカデミーを通して「この監督だからこう」というわけではなく、チームとしてやりたいことがハッキリしているというのがありました。僕も年齢と共に学年も上がって、やることが統一されていたので迷いなく成長できました。

話を聞く感じだと今はもっとバルセロナの人やスペインの人が入ったりして色々変わっていると思います。より洗練され、実際それがジュニアやジュニアユースなどで結果として出ているんじゃないかと思います。

――同期には藤谷壮選手や中坂勇哉選手がいて、彼らは高卒でトップ昇格を選びましたが、山川選手は昇格が内定しながら大学進学を選ばれました。当時どうしてそういう決断をされたんですか?

まず僕自身、プロに上がれるとはまったく思っていなかったんです。大学進学をずっと考えていて。夏くらいの段階で大学の練習参加がもう終わって、大学に行けるかどうかみたいなタイミングで昇格できるという話をいただきました。

やっぱり素直に嬉しくて、その場で言ってはいないんですけど僕の中でも「昇格したい」という気持ちがありました。

ただそこから色々な人に相談させてもらって。これまでのコーチや親にも相談に乗ってもらい、少し冷静になって考えた時に、当時の自分の実力ではプロの世界で活躍できる自信がなくイメージも湧きませんでした。

そういう覚悟がなかったので「まだ早いかな」と思ったのと、もう一つ、サッカー選手の後に教員をやりたいという目標がありました。「教員免許を取得できるサッカーの強い大学」とことで、筑波大学へ行きたいと思いました。その2つですかね。

――筑波大学へ進学し、蹴球部に入ってみての印象はいかがでした?

僕は大学1年からすぐスタメンで出られるかなと思っていて、自信もあったんですけど、周りの選手のレベルがものすごく高かったです。今でもJリーグで活躍されている先輩方がたくさんいますし、練習から本当にレベルが高くて。

大学1、2年生の頃、特に1年の時はそんなに試合に出ていないんですけど、試合に出ていない中でも毎日の練習ですごく成長できたなというのは感じています。

――筑波大学蹴球部だとやはり小井土正亮監督の存在が一つ大きいのかなと思います。小井土監督からは在学中にどんな言葉を掛けられました?

言葉と言ったら難しいですけど。僕の中で一番小井土さんの言葉で響いているのは「現状維持は衰退」です。

自分が現状維持している間に周りは成長しているから、相対的に見てそれは自分が衰退しているといった意味で。「自分の現状に満足せず、常に成長を求めて行動していけ」みたいなことは今でもすごく心に残っています。

――大学在学中から「神戸に戻る」というのが第一の選択肢として常にあった感じですか?

そうですね。中学高校と6年間お世話になって。昇格の話ももらった中で大学へ進学させてもらったので。

育ててもらった義理もありますし、僕自身ヴィッセル神戸というクラブがすごく好きなのでそこは一番の目標にしていました。

――在学中にクラブの方とのコミュニケーションも取っていました?

強化のスカウトの方がほとんど毎試合関東の試合を見に来てくれていたのでそこで話もさせてもらったりしていました。

大学2年の時にはもう(ヴィッセル神戸の)キャンプにも練習参加させてもらったりしていたので。コミュニケーションは多かったほうだと思います。

――山川選手が大学サッカーを経験し、感じたことや掴んだものは?

これは僕の個人的なものなんですけど。ヴィッセル神戸のアカデミーではパスサッカー主体というか、自分たちがこうしたいからこういうプレーをするというのをやってきました。

それに対し、筑波大学はどちらかというと相手の強みを消して、自分たちが相手の弱みに付け込むというか隙を突くみたいな感じで、自分たちのサッカーというより相手に合わせて戦術やシステムを変えるチームでした。

今考えると、アカデミーから直接昇格していたらそういうことを知らずにプロになっていたのかなと思います。もちろんそういった統一したサッカーをやっていることがプラスになる部分もあると思うんですけど。

ただ、プロになったら監督が代わったりもしますし、サッカーが変わることもあるので、その中で順応する力は大学で身に付いたかなと思います。

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筑波大学で練習後に三笘薫と1対1をするようになった理由やお互いの成長、プロでの"苦い”初対決、今の三笘を見て感じていることなど、"盟友”三笘についてたっぷり聞いたインタビュー第2弾の動画はYouTubeの『Qoly公式Ch.』にて近日配信予定なのでこちらもお楽しみに!

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