福井城「坤櫓」の謎、明治初期の古写真から解明 福井県「復元へ重要な資料」

「野路家写真帖八拾四番左」に写る坤櫓の南面と東面(福井市立郷土歴史博物館蔵)

 福井県庁舎や県警本部が立地する福井城址(じょうし)(福井県福井市)の南西角にあった「坤櫓(ひつじさるやぐら)」の形状や向きが、明治初期に撮影された古写真から明らかになった。県都にぎわい創生協議会が策定した県都グランドデザインでは、新しい文化や歴史のシンボルとして坤櫓の復元プロジェクトが盛り込まれており、県は「復元を検討するための重要な基礎資料になる」としている。

 県交通まちづくり課によると、坤櫓の形状に関しては、これまで江戸~明治時代の絵図や文献では確認されていたものの、史料によって建物の向きが異なるなどし、形状を特定する根拠が不十分だった。

 県は昨年度、福井城をはじめ県内の歴史的建造物に関する研究を行っている国京克巳さん(坂井市)の協力を得て、史料の調査に着手。明治初期に撮影された「野路家(のじけ)写真帖(ちょう)八拾四番左」(福井市立郷土歴史博物館蔵)に坤櫓が写っていることを確認した。櫓の南面と東面の一部が写り、三重櫓の形状であったことや、入り母屋造りの石瓦ぶきで、東西方向に棟が置かれていたことが分かった。

 福井城址の南東角にあった巽櫓と同様に2層目に2カ所の千鳥破風が設けられ、3層目に唐破風造りの屋根を持つ出窓があったことも確認できた。

 「旧福井城本丸御廊下橋之遠望」(福井市立郷土歴史博物館蔵同市春嶽公記念文庫)からは、写真の端に坤櫓の1層目の屋根の軒先と壁が写っており、高さを知る手がかりを得られた。坤櫓は、幕府役人や藩主による城下の物見として使われていたが、書物の保管場所としても活用されていたことも明らかになった。

 県都グランドデザインでは、坤櫓やお堀西側の土塀を2030年ごろまでに復元するとしている。県は本年度もセミナーなどを通して福井城址の歴史的価値に関する県民理解を深めていきたい考えで「県民の城としての機運醸成を図りながら早期に復元に着手したい」としている。⇒福井城の「坤櫓の姿に迫る」セミナー、福井県が4月22日開催

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