「NEXTジダン」になれなかった7名の天才選手たち

フランスの歴史的スーパースター、ジネディーヌ・ジダン。繊細なトラップとエレガントなドリブル、意表を突くパスなどで活躍した世界最高の司令塔だ。もちろん監督としてもレアル・マドリーを何度も欧州王者に導いた名指揮官である。

「ジネディーヌ・ジダンの後継者」と呼ばれた選手たちはこれまで何人も存在してきたが、それらはほとんどが成功できないか、あるいは違ったタイプの選手に成長していった。

今回は『Planet Football』から「NEXTジネディーヌ・ジダンになれなかった選手たち」をご紹介する。

ムラド・メグニ

フランス代表の一員として戦った2001年のU-17ワールドカップで世界王者に輝き、強烈な印象を残した攻撃的MF。アルジェリア人とポルトガル人の間に生まれ、フランス国立の育成機関クレールフォンテーヌで育ち、名門カンヌのアカデミーで成長した。

その圧倒的な技術から「プチ・ジダン」と呼ばれ、16歳で当時世界最高リーグだったイタリア・セリエAのボローニャへ。大きな期待を受けたものの、残念ながらその才能を成功に結び付けられなかった。

その後は怪我にも苦しめられ、ラツィオでも期待ほどの活躍は見せられず。20代でカタールリーグへと活躍の場を移したが、中東でも膝の慢性的な怪我によってプレーが妨げられてしまった。ちなみに今はパリでレストラン「Deal-M」を経営しているそう。

ブルーノ・シェルー

シェルーがリールからリヴァプールへと加入したとき、当時のジェラール・ウリエ監督は「彼をジダンと簡単に比較するつもりはないよ。同じようなスタイルやボールタッチを持っている。キープしているときには二人の間に多くの類似点がある」とガッツリ比較していた。

ただ「違いはジダンが30歳で豊富な経験を持っているのに対し、シェルーは24歳で初めて国外でプレーするということだ」と、その実績だけが大きく異なると語っていた。

残念ながらシェルーはリヴァプールで怪我もあって印象に残らないプレーが多く、その後ボルドーとマルセイユでローン移籍を経験し、そのままフランスへ復帰した。現在はリヨンでスカウトをしている。

アントニ・ル・タレック

ジェラール・ウリエがリヴァプールに連れてきた「NEXTジダン」はシェルーだけではない。そして2001年のU-17ワールドカップで主役になったのはメグニだけではない。アントニ・ル・タレックはいとこのフロラン・シナマ=ポンゴルとともにル・アーヴルからイングランドへやってきた。

彼らはル・アーヴルに2年間貸し出されてからリヴァプールにやってきたが、非常にテクニカルなアタッカーであったル・タレックの才能はイングランドに全く馴染まなかった。32試合でわずか1得点に終わり、サンテティエンヌ、サンダーランド、ソショー、ル・マンでのローン移籍でもインパクトはなかった。

フランスリーグでもあまりパッとしなかった彼はその後ギリシャとルーマニアでプレーし、2019年にアマチュアのアヌシーと契約。そして2年後に現役引退し、アヌシーでU-17年代を指導している。

ヨアン・グルキュフ

ジダンとのプレースタイルの類似性、そしてボルドーでブレイクしたという共通点もあり、間違いなく本家に近づいた選手の1人である。

レンヌでデビューしたあとすぐにACミランへと引き抜かれたが、イタリアではほとんど活躍できず。周囲と関わろうとしないシャイな性格も問題となり、大失敗の移籍となった。

しかしその後帰国してボルドーをリーグアン優勝に導き復活をアピールし、フランス代表にも招集されることになったが…2010年ワールドカップではレッドカードで退場して大きな批判を受け、リヨン移籍後は度重なる怪我でプレーすらままならず。2019年に引退するまどほとんどフルシーズンを戦えなかった。ちなみに今はテニスに取り組んでいるとか。

サミル・ナスリ

マルセイユで10代にしてレギュラーを奪った天才司令塔。2004年のU-17欧州選手権で優勝したあと、監督のフィリップ・ベルジェローは「ナスリのボールの動かし方はジダンを思い起こさせる」と語った。

マルセイユの貧しいアルジェリア系の家族で育ったという類似点もあり、次なるジダンだと大きな評価を得た。その実力は確かなもので、その後アーセナルとマンチェスター・シティでも活躍を見せた。

ただ2008年にアーセナルへと加入した際、彼は「人々が僕のことを未来のジダンだと呼んでいるのを聞いたとき、ショックを受けた。しかしそれをすぐに忘れることにしたよ」と話していた。その通り、成長するに従ってジダンとは異なった選手になり、態度の問題もあって20代半ばでピークを迎えてしまった。

アデル・ターラブ

RCランスからトッテナムに来た際、10代のアデル・ターラブについてハリー・レドナップ監督はこう言っていた。「彼がここに来たとき、『NEXTジダンだ』と呼んだんだ。彼は天才だったし、その能力を持っている」と。ジャーメイン・ジーナスも「16歳くらいだったが、僕は『ああ、ここにジダンが来た!信じられないことになるよ』と思ったんだ」と語っていた。

ターラブ自身は「そうなることを望んでいるが、それは代理人の意見だ。そのレベルに到達したいと思っているだけだよ」と答えていたが、残念ながらそれは叶わなかった。

圧倒的なテクニックとワガママさ、トラブルメーカーぶりでなかなか成功できず、後に加入したベンフィカでボランチにコンバートされた。それがうまくハマり、30代でようやく落ち着いたいい選手に変貌した。

カリム・ベンゼマ

今や圧巻の点取り屋となったベンゼマであるが、かつてはウイングとしてプレーしていた。アルジェリアにルーツを持っているということもあり、その技術的な部分が多く注目された。

ただそれから中央のポジションへと移るとストライカーとしてブレイク。みるみるジダンとはかけ離れた選手となっていったが、それと同時に多くのタイトルを獲得できる世界有数のアタッカーに成長していった。

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いろいろな問題でフランス代表とは縁がないものの、30代なかばになってもトップレベルを維持し、ジネディーヌ・ジダンを上回るトロフィーを掲げている。

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