長崎・立山防空壕 「知事の専用通路」を新たに公開 

新たに公開された「知事の専用通路」=長崎市、立山防空壕

 長崎市は4日、太平洋戦争末期に県防空本部が置かれた立山1丁目の「立山防空壕(ごう)」で、当時の知事室から出入り口につながる「知事の専用通路」を新たに公開した。市被爆継承課の奥野正太郎学芸員は「残る証言と照らし合わせ、体感することで知事らが原爆投下後にどう動き、何を見て、どう判断したかがイメージできる」と意義を語る。
 同課などによると、横穴式コンクリート造りの同防空壕は1945年3月ごろ完成。空襲警報が発令されると、知事らが警備や救援・救護などの指揮に当たった。
 爆心地から約2.7キロ離れており、当時の永野若松知事は原爆投下後「広島に比べ被害は軽微」とする第1報を西部軍管区司令部に打電。その際に通路を通って外に出て、浦上方面を見渡したが、金比羅山を挟んで離れていたことや、警察の報告も被害が少ない地域からしか上がらず、当初は「被害僅少」と判断したとの証言が残っている。
 市は2005年に一般公開したが、専用通路は安全上の問題で立ち入りを制限していた。20、21年度に実施した調査で安全性を確認。保存整備と合わせ、永野知事らの証言を多言語で紹介する展示説明板を新設するなどして公開した。
 市は国史跡「長崎原爆遺跡」への追加指定を目指しており、本年度から3年かけ意見具申に向けた調査を進める方針。
 同防空壕は第3月曜日を除き、午前9時半~午後5時、公開している。

© 株式会社長崎新聞社