取り逃がした魚が大きすぎた…。ブラジル代表が招集すべきだった5選手

これまでサッカー界で数々の伝説と記録を打ち立ててきたサッカー王国ブラジル代表。

美しい黄色のカナリアを身にまとったセレソンたちは、ワールドカップ前大会出場と歴代最多5回優勝と世界最強の名をほしいままにした。

だがそんな最強軍団も2002年W杯日韓大会優勝以降、20年以降優勝から遠ざかっている。未だ強力なメンバーを揃えているが、招集していれば勝利を引き寄せられたかもしれない逸材を多く取り逃がしてきた。

そこでブラジル代表が招集すべきだった5人の選手をピックアップした。

チアゴ・モッタ

選んだ代表:イタリア代表

イタリア代表を選択した遅咲きのバランサーは、イタリアに渡ってから頭角を現した。ジェノアで中盤の核として活躍し、インテルではチーム45年ぶりのCL制覇とイタリアリーグ史上初となるトレブル達成に大きく貢献した。

バルセロナのカンテラでキック精度、ゲームメイクセンスを磨き上げ、ブラジル人らしい足元の技術と球際の激しさを持つ司令塔は、PSGでは不動のアンカーとして君臨。守備でも攻撃でも違いを見せつけた。

モッタが活躍していた時期は、セレソンの中盤の底にいた選手たちは創造性に欠けおり、司令塔を任せられる逸材が不在だった。モッタはイタリア代表でも中盤の要としてプレーし、EURO2012は準優勝、EURO2016は背番号10を背負ってベスト8入りに貢献。もしモッタがブラジル代表だったら中盤のゲームメイクに期待ができただろう。

ペペ

選んだ代表:ポルトガル代表

レアル・マドリーで君臨していた万能型CBは、ポルトガルの堅守を2007年から支え続けてきた。地方クラブであるコリンチャンス・アラゴアーノの下部組織で育ったペペは、18歳になってからマリティモと契約。ここで飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍し、ポルト移籍後もリーグ2連覇などポルトガルリーグ最強のDFとして名誉を確立した。

レアル・マドリーではCLを3回制するなど、欧州屈指のCBとして破竹の活躍を披露。加速力があるスプリントに長け、ペペの前に数々のスピードスターが涙をのんだ。全盛期のメッシとの1対1の局面でも抑えきるシーンがあったほどスピードと守備技術に優れていた。

長くトップシーンを走り続けたペペは、身体の頑丈さにも定評がある。もしW杯2014年大会でブラジル代表にペペがいれば、準々決勝コロンビア戦で累積警告により出場停止となったチアゴ・シウバの不在の影響を最小限にできただろう。そうなればマンシャフトとの準決勝でミネイロンの惨劇は食い止められたかもしれない。

デコ

選んだ代表:ポルトガル代表

圧倒的なセンスと技術で欧州を代表するゲームメーカーとなったデコは、ブラジル時代は平凡な選手だったと言われていた。19歳でポルトガルに渡ってからは、アルヴェルカで覚醒。1997-98シーズンのポルトガル2部で32試合12得点と輝きを放った。

ポルトでは2002-03シーズンにUEFAカップを制覇し、翌シーズンはCL優勝とモウリーニョ政権下で攻撃のタクトを振るった。バルセロナでも2005-06シーズンにキャリア2度目のCL制覇、チェルシーでも2009-10にリーグ優勝とタイトルを多く獲得した。その右足から繰り出される受け手を思いやり、相手を絶望へ叩き落すパスやアイディアに富むボールタッチはマジコ(魔法)と形容された。

ポルトガル代表ではデコの招集にルイ・コスタやフィーゴが反発していたが、デビュー戦のブラジル戦で魔法のような技術で決勝点を挙げて信頼を勝ち取った。この稀代のテクニシャンがセレソンにいれば、多くのアタッカーも気持ち良くプレーできただろう。カカやロナウジーニョと共演していればどのようなプレーを見られたのか興味が尽きない。

ティアゴ・アルカンタラ

選んだ代表:スペイン代表

バルセロナ時代にシャビやイニエスタの後継と目されていた男は、スペイン代表を選択。バルセロナでも出場をすれば相手を華麗にはがすドリブルに、機知に富んだパスで相手を翻ろうしてみせた。

出場機会を求めてバイエルンへ移籍し、リーグ優勝7回、CL優勝1回と南ドイツの名門の黄金期形成に一役買った。リヴァプールでは変幻自在のドリブルと針の穴を通す精度のパスでプレミアリーグ屈指のチャンスメイカーとしてチームを支えた。

近年中盤に創造性とアクセントが枯渇していると言われているブラジル代表で、攻撃のタクトを振るえばどのような化学反応を見せたのか。弟のラフィーニャがセレソンを選択したが、クラブキャリアでも代表でも兄ほどのインパクトは残せなかった。

ジエゴ・コスタ

選んだ代表:スペイン代表

ブラジルが逃した魚で一番の大物はジエゴ・コスタで間違いないだろう。ブラジル時代はストリートサッカーで技術を磨いたストライカーは、ポルトガルのブラガを経てスペインの名門アトレティコ・マドリーへ移籍。頭角を現すのに時間を要したが、ラージョへの期限付き移籍で2011-12シーズンに16試合10得点と爆発。スペインを代表するストライカーへと変ぼうを遂げた。

その圧倒的なフィジカルの強さとゴール前の嗅覚は化け物じみており、ダイナミックな空中戦と地を這うような球威のあるシュートは多くのDF、GKから畏怖された。アトレティコ・マドリー時代の2013-14シーズンはリーグ戦35試合27得点、チェルシー時代は2014-15、2016-17シーズンにリーグ戦20得点とスコアラーとして結果を残し続けた。

2013年にブラジル代表はジエゴを招集して2度出場させているが、2014年のワールドカップシーズンにスペイン代表への鞍替えを発表。当時のブラジル代表のセンターフォワードはジョーやフレッジと力不足が叫ばれている状況だったため、救世主の流出に多くのブラジル人が激怒したという。

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ジエゴもポゼッションフットボールの適応が遅れて、W杯ブラジル大会は無得点で終わった。その後は24試合10得点と上々の成績を記録し、W杯ロシア大会では3得点と気を吐いた。

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