戦国期の書状や仏像発見 長尾家由来、重文と同じ内容 足利雷電神社で23~30日一般公開

足利雷電神社で「再発見」された仏像3体と氏子総代の斎藤さん(右端)ら

 栃木県足利市本城1丁目の足利雷電神社で昨夏、戦国期の足利長尾氏が発給したとみられる安堵(あんど)状や仏像3体が発見された。この安堵状は鑁阿(ばんな)寺が所蔵する安堵状(国重要文化財)と同じ内容であることが分かり、氏子総代らは「神社の歴史を知ってもらいたい」と23~30日、社務所で一般に公開する。

 1054年に創建されたとされる同神社はいったんは衰退したが、戦国時代に足利を治めた長尾氏が1512年に再興した。長尾氏は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原征伐で取りつぶされたものの、家臣が境内に寺を建て、神社を守ったという。

 100年以上前に建てられた社務所が老朽化したため、氏子総代たちは昨年8月、取り壊しも念頭に建物内を調べた。その際、金庫内から安堵状の掛け軸、神棚から3体の仏像などが見つかった。来歴や保管の経緯を知る人がいなかったため、市美術館に確認してもらった。

 安堵状は、長尾氏の5代当主政長(まさなが)(景長)が神官の木村弥三郎に対し、社領の所有権を認める内容だったという。鑁阿寺には、6代当主顕長(あきなが)が弥三郎に発給した安堵状があり、文章もほぼ同じだった。

 仏像は「木造弁財天および十五童子像」(総高15.5センチ)と「十一面観音菩薩(ぼさつ)立像」(総高9.8センチ)、「薬師如来立像」(総高35.7センチ)の3体で、専門家に鑑定を依頼した。

 弁財天は弁財天坐像(ざぞう)を中尊とし、毘沙門天立像や十五童子像などを配している。江戸後期の作で、神仏混交の信仰形態を示す作例とみられる。観音は頭部から右肩にかけての火中痕や摩耗もあるが、その形状から戦国期の造立の可能性があるという。如来は江戸期作で、底部には彩色師の銘があった。

 この発見を契機に、社務所の取り壊しは中止に。23日に開催する春祭りに合わせ、安堵状や仏像を公開することにした。

 氏子総代の斎藤和男(さいとうかずお)さん(74)は「お宝を見てもらえれば、長尾家と足利のつながりや歴史を感じてもらえるのではないか」と期待している。公開時間は午前10時~午後4時。

足利雷電神社で発見された十一面観音菩薩立像
足利雷電神社で発見された安堵状

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