避暑地の歴史をつづる グラバー園名誉園長・バークガフニさん 著書を刊行

「欧米人が歩いた 長崎から雲仙への道」を出版したブライアン・バークガフニさん=長崎新聞社

 長崎の外国人居留地研究の第一人者で長崎市グラバー園名誉園長のブライアン・バークガフニさん(72)=同市=が、明治から戦前にかけて、欧米人が集まる避暑地として繁栄した雲仙の歴史をつづった著書「欧米人が歩いた 長崎から雲仙への道」を刊行した。当時の新聞記事や記録、文献などを基に、草創期からの歩みを古写真などの豊富な資料と共に紹介している。
 雲仙は国際貿易港・長崎から訪ねられる避暑地として外国人に人気となり、長崎からの交通路やホテル、ゴルフ場といったインフラ整備が進展。国内外の客が訪れる一大観光地となり、1934年に日本最初の国立公園3カ所の一つに指定された。にぎわいは太平洋戦争開戦直前まで続いた。
 同書は、こうした雲仙の盛衰を日本語と英語の併記で8章にわたり記述。ノーベル文学賞を受賞した米国の女性作家パール・バック(1892~1973年)ら、著名人の訪問エピソードや、雲仙の様子を記した文章なども取り上げている。バークガフニさんの収集資料を中心に、古写真や絵はがき、当時の観光パンフレットなど未公開のものを含む200点以上を収載。
 長崎からの経由地としてホテルなどが建設された茂木、千々石、小浜の隆盛などについても言及。「今日、そして明日」と題した最終章では、当時の面影が今に残る場所などを紹介。今後の観光活性化に向けて「歴史的背景があってこそ、雲仙は日本各地の温泉地と一線を画して独自性を誇示することができる」と提言している。
 バークガフニさんはカナダ出身。82年長崎市に移住。市嘱託職員を経て96年に長崎総合科学大教授に就き、居留地時代の長崎を調査研究してきた。その過程で長崎と雲仙の深い関わりが浮上し、執筆の構想につながった。
 雲仙には第1次世界大戦中や太平洋戦争直前の時期でも、国籍を問わず避暑客が訪れた。バークガフニさんは「国の対立と関係なく、平和な国際交流が繰り広げられていた往時の様子を知ってほしい」と話す。
 3月で同大特任教授を退任したバークガフニさんは今後、研究の傍ら、2015年設立した出版社「フライング・クレイン・プレス」を通じて、国内外への長崎の情報発信に取り組む考え。同書は同社から出版。雲仙市が後押ししており、県、長崎市と共に一部を購入して観光PRなどに役立てる。
 雲仙市の金澤秀三郎市長は「出版の話を聞き、期待していた。明治から昭和初期における長崎、雲仙が外国人にどのように親しまれたか、分かりやすく紹介されており、観光客や県民、外国の方にもぜひ読んでほしい」とコメントした。
 同書はA4版188ページ、2200円。購入、問い合わせはフライング・クレイン・プレス(メールアドレス flyingcranepress@yahoo.co.jp)。

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