「公園で遊ぶ子どものように」コピーライター、糸井重里さんが思うこと 価値観に縛られない柔らかな発想と渋谷カルチャーの関係は 「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~

渋谷の街を背にする糸井重里さん=2023年3月28日、東京・渋谷パルコ

 国内のみならず、世界中から若者が集まる街、渋谷。そんな渋谷の坂の途中にパルコが開店し、「公園通り」が誕生して今年で50年を迎えた。「おいしい生活。」「不思議、大好き。」「くうねるあそぶ。」―。パルコの黎明期から関わり、1980年代から記憶に残る名コピーを次々と世に放ってきた糸井重里さん(74)に渋谷の街とそのカルチャーの魅力、自らのコピーについての思いを語ってもらった。(共同通信=内田朋子)

イベントスペース「ほぼ日曜日」の入り口に立つ糸井重里さん=2023年3月28日、東京・渋谷パルコ

 ▽時代をリレーする文化
 コピーライター、エッセイスト、作詞家としての顔も持つ糸井さん。現在はウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」でさまざまな読み物を提供するとともに、「ほぼ日手帳」をはじめとするオリジナル商品の企画開発、販売や、渋谷パルコ8階でイベントスペース「ほぼ日曜日」も運営する。渋谷パルコとの接点から聞いてみた。
 「渋谷パルコをつくったのは、西武百貨店の社長だった堤清二さん。僕は西武の仕事を請け負い始めて、面白くなっていた時期だったが、百貨店とは全く違う『新しい何か』を生み出そうとしていた。堤さんの東京大学の仲間でパルコ社長の増田通二さんの下、広告・宣伝の分業という感じで参加した」
 確かに、パルコの売り場は混沌としていて、デパートのように1階が化粧品、2階以上は男女別々のファッションのフロア―という定番の構成にはなっていない。広告・宣伝のスタイルも目新しかったという。
 「お客さんにどんなイメージを持ってもらうか、というのが重要なテーマだった。1973年のオープンと同時に、代々木公園に至る坂道が『公園通り』と名付けられ、その後、店のPR雑誌とは違うサブカルチャー誌『ビックリハウス』が創刊された」。ビックリハウスは大きな反響を呼んだ。
 「読者の投稿をパロディーとして編集するというこの雑誌が10代の若者の圧倒的な支持を得た。そして、前の時代と後の時代をリレーする役割を強く担ったと思う。それが80年代のカルチャー、また渋谷文化の特徴ではないか」
 ビックリハウスには60年代に劇団「天井桟敷」を立ち上げた寺山修司さんも関わっていたという。「初代の編集長は天井桟敷の演出家だった萩原朔美さん。アーティストの榎本了壱さんら天井桟敷に集まる若い人たちが雑誌作りの母体になった。単に新しいものがいいというより、60年代と70年代、80年代をつなぐ『輪っか』のような存在を意識して編集していた」

「渋谷の街を思っていた人たちの考えは受け継いでいる」と話す糸井重里さん=2023年3月28日、東京・渋谷パルコ

 ▽「ヘンタイよいこ」がコピーの原点
 ビックリハウスの中で糸井さんが担当していたのが「ヘンタイよいこ新聞」。いかにも、エログロを予想させるネーミングだが…。
 「僕が80年から82年にかけて担当していたヘンタイよいこ新聞は、たとえば『きもちのいいものとは何か』といったお題を与えて、読者がそれに回答する連載ページ。このネーミングが、コピーとしても糸井の最高傑作だと本気で言う人もいる」と笑う。「実際、自分の根っこにあるコンセプトもそのあたりにあると思っている」
 「ヘンタイ」と「よいこ」…。一見、相反する言葉の組み合わせは、糸井さんのコピーが持つ不思議な余韻と通じるような感じがする。また、選ぶ言葉は簡単だけれども、意味の深さと広がりがある。糸井さんはどのような思いで、コピーを作っていたのか。
 「西武百貨店では堤さんが作りたい広告を真剣に作った。『おいしい生活。』は、立派でも、豊かでも、大きくなくても『おいしいね』と言えるのが大事という、家族が見えるようなコピーにした。自分にとって、一番の作品だと思う。パルコの広告では遊ぶことができた。『男は先に死ぬ。』というコピーは、みんなが『女の時代だ』と言っていたから『よく考えると、先に男は死ぬから、女の時代になるのは当たり前じゃないの?』と両方をくすぐったつもり」
 コピーで、常に意識したのは聞き手側。「コピーライターにとって大切なのは、コピーを街に投げ入れた時、どういう影響があるかを試し算すること。発表することだけを考えてコピーを作るのではなく、コピーを聞いた側がどういう感想を持つかを意識して作りたいといつも思っている」
 そして分かりやすさにも気を使う。「『低い所で会いましょう』と書いたことがある。高度なレベルで『君と僕は分かりあっている』というのと、『簡単なことだから、誰でも分かってね』という両方の握手の仕方があると思うけれど、僕は常に低い所で誰かと会っていたい」
 「固定観念、紋切り型の表現も遠ざける。「最近よく使われる『分断』とか『格差』という言葉も言い過ぎるのはよくない。『分断』と言ったとたん、見えてくるはずのものが見えてこなくなるから」

ジェスチャーを交えながら、渋谷カルチャーの面白さを語る糸井重里さん=2023年3月28日、東京・渋谷パルコ

 ▽自由で、みんなが仲良くなれる渋谷
 今も若者の聖地であり続ける渋谷。渋谷カルチャーの将来について、糸井さんはどう思っているのか。
 「ヘンタイよいこ新聞で『かわいいとは何か』というお題を投げたら、『ももひき姿のお父さんは天使のようでとてもかわいい』という投稿があった。今の言葉でいう『上から目線』に子どもの方がなって、お父さんを価値づけて、子どももお父さんも両方が楽しくなっている。渋谷の街で、こんなふうに上下関係や対立のない文化が続けばいいなと思う」
 糸井さんによると、渋谷は新宿のように「対立」のイメージがなく、自由な雰囲気で、みんなが仲良くなれるという。「ガチガチな価値観に縛られることもない。希望にあふれていたわけではないけれど、今日と明日を生きられる、ある種の楽天主義が80年代から渋谷には根付いていた」
 駅周辺に高層ビルが林立し、渋谷は急激に変貌しつつある。糸井さんは「幼児が楽しめる街をつくってほしい。公園で野放しになっている子どもは本当に楽しそうだから。僕もあんなふうに遊んでみたい」といたずらっぽい表情を見せた。

イベントスペース「ほぼ日曜日」で笑顔を見せる糸井重里さん=2023年3月28日、東京・渋谷パルコ

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