“反核運動の父” 資料を広島大学に寄贈 故 森滝市郎さん「核と人類は共存できない」

原爆慰霊碑の前に座り、無言で核廃絶を訴える「座り込み」―。この抗議運動に早くから取り組み、反核運動の一つとして広く世に広めたのが、広島大学の名誉教授、故・森滝市郎 さんです。「核と人類は共存できない」と訴え続けた森滝さんが生前に残した資料が、広島大学に寄贈されました。

「反核運動の父」といわれた 森滝市郎 さんが生前に書いた直筆の原稿です。

広島大学に資料を寄贈したのは、森滝さんの二女・春子さん。5年前からすでに1万点を超える手紙や原稿を寄贈していて、最後となる今回は、森滝さんの書斎にあった資料が運び出されました。

資料を寄贈した 森滝さんの二女 森滝春子さん(84)
「父は右目を原爆で失ったので虫めがねを持って枠にはめるように(原稿を)書いていた。これで、わたしの1つの義務は果たせる」

故 森滝市郎 さん(1978年)
「『核絶対否定』の立場に立つ運動の必要性というものをですね、もう腹の底から感ずるようになりました。これよりほかに人類が生きる道はないと」

森滝さんは、「核と人類は共存できない」と訴え続けました。44歳のときに爆心地から4キロの地点で被爆。飛び散ったガラスの破片で右目を失いました。

戦後は広島大学で倫理学の教授となり、1962年にはアメリカの核実験に反対して「座り込み」という形で抗議しました。

被爆者として世界に出向いて核兵器廃絶の声を上げ、92歳で亡くなる直前まで反核運動の先頭に立ってきました。

森滝春子 さん
「(世界情勢は)絶望といってしまいそうな昨今、父たちも何度もそういう思いをしている。共にたたかってきた人たちの記録も全部含まれる。学んで直視する材料にしてもらえたら」

広島大学は、森滝さんの思想や行動を読み解くための貴重な資料と評価していて、数年後に文書館での一般公開を目指すということです。

広島大学 文書館 石田雅春 准教授
「森滝先生個人がどのように悩んだのか分かる資料」

広島大学 名誉教授 故 森滝市郎 さん(享年92)(1993年映像)
「20年座りましたけど、核は一向になくならない。じゃあ、絶望するかというと、絶望するわけにはいかない」

亡くなる前の最後の座り込みで残した「絶望しない」という決意。核兵器使用の脅威が高まる中、サミットを迎える広島で森滝さんの資料は重みを増しています。

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