社説:憲法記念日 暮らしの中から向き合おう

 「日本は再出発のための憲法の核心に、不戦の誓いを置く必要があった。これを憲法から取り外せば、アジアと広島・長崎の犠牲者たちを裏切ることになる」

 小説家の大江健三郎さんは1994年、ノーベル文学賞の授賞式で世界に向けてスピーチした。

 音楽家の坂本龍一さんは2015年、安倍晋三政権が進める安全保障法制は違憲だと反対する集会で「憲法の精神を取り戻し、憲法を自分たちの血肉にする時だ」と呼びかけた。

 大江さん88歳、坂本さん71歳。この3月に相次いで亡くなった。

 76年前のきょう施行された新憲法の熱がさめぬ中、青少年期を過ごした2人は戦後の自由と平和を体感した世代であったろう。

 「憲法9条こそが日本の安全保障」と訴える活動や核廃絶、東京電力福島第1原発事故を踏まえた「脱原発」で時に足並みを合わせ、発信を続け、広く影響を与えた。

 こうした世代が減っていく中、私たちは世界に約束した不戦の誓い、平和主義の実現に向けて歩んでいるだろうか。日本の最高法規を社会の血肉にし、基本的人権の尊重や国民主権(民主主義)を前に進められているだろうか。

 立ち止まって考えたい。

 高まらぬ機運の皮肉

 共同通信の全国世論調査によれば、9条改正の必要性は賛否の拮抗(きっこう)が続く。前年より賛成が微増したのは国際情勢の影響だろう。

 昨年2月、ロシアがウクライナへの侵略を始め、その主権を脅かし、今も大勢の人の命と暮らしを奪い続けている。習近平指導部が独裁性を強める中国は、台湾統一への野心を隠さない。北朝鮮は対米威嚇のため、ミサイルの発射を繰り返して性能を上げている。

 一方で、改憲の機運が国民の間で「高まっていない」が「どちらかといえば」を含め計7割を超えた。憲法論議を差し置いて、軍備の拡大に突き進む政権の姿勢が、改憲を遠ざける皮肉を感じる。

 安倍政権は閣議決定で憲法解釈を変え、歴代政権が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」に道を開き、安保法制を成立させた。日本への攻撃に対する「個別的自衛権」にとどまらず、他国に対する攻撃でも、日本に明白な危険が及ぶ場合(存立危機事態)は武力行使に加われるとした。

 さらに岸田文雄政権は昨年末、閣議決定で安全保障関連3文書を改定した。他国のミサイル発射拠点などを攻撃する「反撃能力」(敵基地攻撃能力)を持つとした。

 それは存立危機事態でも行使できるという。米国の戦争に、自衛隊が日本からのミサイル攻撃で参戦することさえ可能になる。

 国会軽視の首相答弁

 9条を踏まえ、日本が保持できるのは「自衛のための必要最小限」とし、「専守防衛」を掲げてきた戦後政治の歴史的な転換だ。

 岸田氏は今国会で「専守防衛にいささかの変更もない」と繰り返す。だが、どんな場合に反撃するのか、国際法違反の「先制攻撃」にならない歯止めはあるのか、与野党から問われても「手の内を明かすことになりかねない」などと説明を避けるばかりである。

 そもそも戦争を抑止するのに、本当に反撃能力が有効なのか。周辺国との軍拡競争や全面戦争を招くリスクを高めないか。募る疑問に対し、議論の土台となる情報をほとんど伏せる岸田氏の姿勢は、不誠実というほかない。

 憲法学者の奥野恒久さん(龍谷大教授)は「反撃能力と称するものは憲法9条2項が禁じる『戦力』にあたり、明らかに違憲だ。だが、岸田政権は憲法との整合性を問う議論をすっ飛ばし、保有を前提とする『識者』の声だけを聞き、閣議決定で突き進む。論争を起こした安保法制より、ある意味で悪質ではないか」と指摘する。

 「国権の最高機関で唯一の立法府」である国会も、国民からの負託に応えているとは言いがたい。

 危うい「お試し改憲」

 政権が防衛機密を盾に議論を拒むなら、例えば憲法57条が定める「秘密会」を提案し、非公開の委員会で議論するくらいの意思を示してはどうか。議論の時間が足りないなら、京都や滋賀の地方議会でも進む「通年開催」を可能にする国会法改正は検討に値する。

 そうした手を尽くすどころか、与党や日本維新の会などが力を入れるのは衆院の憲法審査会のようだ。特に緊急事態に衆院議員の任期を延長する条項の導入案は、一致点が多いとし「改憲の第1弾に」との声がある。9条改正への「お試し」の狙いが透ける。

 だが憲法は、衆院解散時に非常事態があれば、参院の「緊急集会」で対応すると定める。内閣に実質的な法制定の権限を与える緊急事態条項案を含め、必要ない。

 もちろん、憲法は不磨の大典ではない。首相の解散権制限や地方自治の拡充など、肥大化する内閣を抑制するような議論はあってもよい。デジタル社会での人権保護や「知る権利」の明確化なども関心を呼ぶ命題だろう。

 平和主義、基本的人権の尊重、国民主権。憲法の3原則は色あせるどころか、混迷の時代を照らす羅針盤になり得る。暮らしの中で向き合い、「血肉」としたい。

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