日本人も!「アーセナルでプレミア1試合のみ出場」の名選手たち

ビッグクラブというのは多くの選手が加入し、そして多くの選手が去っていくもの。その中には1試合しかプレーしなかったという者も。

今回はアーセナルの中で「プレミアリーグ1試合のみ出場」となった選手の中から知名度が高い者をピックアップしてみた。

アモリ・ビショフ

アーセナル所属:2008~2009

現在:コルマル(フランス4部)

ヴェルダー・ブレーメンのアカデミーで目覚ましい活躍を見せた選手。フランス人の父親とポルトガル人の母親の間で生まれ、コルマルとストラスブールのジュニアで育ち、そしてドイツへと渡った。

怪我を抱えた状況でありながら2008年にアーセナルへと移籍することになり、ヴェンゲル監督も「彼の才能に賭けた」とギャンブルであることを認めていた。ただ2009年5月2日のポーツマス戦に出場したのみで、その後アカデミカ・コインブラへと移籍していった。

その後も怪我で苦しんだものの2012年から所属したプロイセン・ミュンスターでようやく復活。その後はコンスタントにプレーすることができている。

デイヴィッド・ベントリー

アーセナル所属:1997~2006

現在:引退

アーセナルの下部組織で育ったアタッカー。もともとはストライカーであったがサイドにコンバートされ、その素晴らしいキックから「ベッカムの後継者」としても期待された選手であった。

16歳でプロ契約を結び、2003-04シーズンにプレミアリーグで初出場。しかしながらその後はノリッジにローン移籍し、2005年にブラックバーンへと放出されている。

2007年にはイングランド代表にも呼ばれるなどブレイクしたものの、2008年に移籍したトッテナムで徐々に調子を崩し、キャリアが急降下していった。最終的にサッカーへの情熱を失い、29歳という若さで現役を引退している。

ギャヴィン・ホイト

アーセナル所属:1999~2012

現在:メイドストーン・ユナイテッド

アーセナルのファンでも「あれ、1試合しか出ていないの?」と意外な印象を受けるかもしれない。2008-09シーズンにはカップ戦で3試合出場したものの、実はアーセナルでは4試合だけしか起用されなかった。

知名度は高かったもののなかなか出場機会に恵まれず、2008年からは数多くのクラブにローン移籍。2012-13シーズンにはダゲナム&レッドブリッジへと放出され、その後は下部リーグで長くプレーを続けている。

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2019年からはのメイドストーン・ユナイテッドに加入し、キャプテンとして長くチームを支えているが、今季はナショナルリーグで最下位に沈んでいる。

ニコ・イェナリス

アーセナル所属:2006~2014

現在:北京国安

ギリシャ系キプロス人の父親と中国人の母親を持ち、イングランドで生まれた選手。アーセナルのユースではアタッカーであったが、後にセントラルミッドフィルダーにコンバートされた。トップチームでは2011-12シーズンにプレミアリーグで1試合プレーしている。

怪我もあってなかなか成功できなかったものの、2014年に移籍したブレントフォードでようやく復活。長くボランチとして中心的な存在となり、2017年あたりまでは主力として活躍した。

その後は母親の出身地である中国の代表に入ることを決め、「李可」という名前で帰化。2019年には北京国安へと移籍し、中国超級リーグに活躍の場を移している。

宮市亮

アーセナル所属:2011~2015

現在:横浜F・マリノス

日本からJリーグを経ずにアーセナルへと加入した宮市亮。その圧倒的なスピードから「リオジーニョ」とも呼ばれるなど大物への階段を登り始めたかと思いきや、怪我にキャリアが妨げられてしまった。

アーセナルではストーク・シティ戦で17分間プレーしたのみで、ボルトン・ワンダラーズとウィガン・アスレティックでプレミアリーグを経験した。その後ザンクト・パウリで復活を見せるも、そこでも大きな怪我に悩まされることに。

そして2021年には初めてJリーグでのプレーを決断。横浜F・マリノスでキャリアを再建させ始めたが、久しぶりに復帰した日本代表での試合で再び膝を壊してしまった。現在はまだリハビリ中で、ピッチに戻る日を待ちわびている。

エフスタティオス・タヴラリディス

アーセナル所属:2001~2004

現在:引退

「猛牛」の愛称を付けられたギリシャ人センターバック。若くしてイラクリスで活躍を見せたあと、21歳でアーセナルへと引き抜かれていった。

ただその頃のアーセナルはもちろんコロ・トゥレやソル・キャンベルがいた最強チーム。彼が入り込む隙間はほとんどなく、プレミアリーグではサウサンプトン戦で一度プレーしただけだった。そして2004年にリールへと貸し出されることに。

その後はフランスリーグでプレーを続け、サンテティエンヌでは松井大輔とともにプレー。2010年からはギリシャに戻り、2017年まで現役を続けていた。

アルトゥーロ・ルポリ

アーセナル所属:2004~2007

現在:モンツァU-18コーチ

パルマの下部組織からアーセナルに加入したイタリア人ストライカー。リザーブリーグでいきなり得点王に輝くなど「次世代のエース」として非常に高い期待を受けた。そのためアーセナルのサポーターには知名度が高い。

ただ当時の最強アーセナルでは出番を与えられず、プレミアリーグでは1試合のみのプレーに。ダービー・カウンティへのローン移籍で成功を収めたものの、その後は様々なクラブを渡り歩くジャーニーマンとなっている。

現在は35歳。昨季はボルド・サン・ドニーノというセリエDのクラブでプレーしていたが、昨年限りで現役を引退した。現在はモンツァのU-18でコーチを務めている。

パク・チュヨン

アーセナル所属:2011~2014

現在:蔚山現代

アーセナルの「呪われた番号」として知られる9番を着けたパク・チュヨン。その中でも最も失敗だった補強の一つとも評されている。

モナコで活躍を見せたあと、リールへの移籍をドタキャンする形でアーセナルへと加入したものの、全く起用されない状況に。実績ある選手でありながらほとんどをベンチとリザーブで過ごした。

セルタ、ワトフォードへのローン移籍を経験したあと退団し、UAEのアル・シャバブを経て韓国に帰国。その後はFCソウルで長くプレーし、昨年蔚山現代に移籍している。

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