1歳半でがん全身転移の息子、病院で「おうちに帰ろ」 最期過ごす「子どもホスピス」の役割考える

ドイツへの引っ越しを終え、石田千尋さんとパンを食べる夕青ちゃん。この後、高熱を出し小児がんと宣告される=2018年9月11日、デュッセルドルフ市(石田さん提供)

 2018年9月、夫の仕事の関係で、石田千尋さん(40)=福井県鯖江市=は、1歳半の息子、夕青ちゃんを連れてドイツのデュッセルドルフ市に引っ越した。夕青ちゃんは、1歳になってすぐ、歩いてサッカーボールを蹴るほど元気だった。

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 到着後、1週間もしないうちに、夕青ちゃんは38度を超える熱を出した。医師からは「(引っ越しによる)お母さんの不安が子どもに伝わっているのでしょう。どっしり構えて」と言われた。

 熱は下がらず10月4日、夕青ちゃんの首が、こぶし大ほど腫れた。タクシーで大学病院に行き、診察を受けた後、医師から英語で説明された。よく分からなかったが、「キャンサー(がん)」という単語だけは聞き取れた。即入院し、抗がん剤治療が始まった。

 病名は小児がんの一種「神経芽腫」。既に全身に転移しており「ステージ4」だった。石田さんは「命の選択というより、どう治すか、それしか考えなかった」。頭が整理できず涙も出なかった。

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 同年11月に始まった2回目の抗がん剤治療は、副作用が大きく、夕青ちゃんは毎日吐いた。薬も吐いてしまい、髪の毛は抜け落ちた。がんは目の奥にも転移した。目の周囲は内出血で、黒くなった。

 「この子は助からないかもしれない、とは絶対に思ってはいけない。『死なないで』とは、言っても思ってもいけない。夕青に伝わってしまう」。石田さんは病室で添い寝しながら、祈るように自分に言い聞かせた。

 12月31日。「もう助かりません」と医師から告げられ、自宅のような空間で最期を過ごす「子どもホスピス」へ行くことを勧められた。石田さんは医師に対し「治療をあきらめないで。ドイツがだめなら、アメリカでもロシアでも行く」と声を張り上げた。

 別室に連れて行かれ、夕青ちゃんの腫れ上がった肝臓のエックス線画像を見せられた。石田さんは「私の肝臓と取り換えて」と泣いて頼んだが「おなかを開いた時点で、(体力がない夕青ちゃんは)アウト」と冷静に返された。

 その日の夜、いつものように添い寝をしていると、夕青ちゃんが声を振り絞るように言った。「おうちに帰ろ」。年が明け1月6日、石田さんと夕青ちゃんは救急車に乗って、市内にある子どもホスピスへと向かった。

 想像と違い、そこは住宅街の一角に立地する開けた場所で、庭もきれいに整えられていた。大きめの一軒家のような建物の中に入ると、6人のスタッフが出迎えてくれた。その中の一人がこう言った。「私たちが『チーム・ユウセイ』です」。スタッフ2人がペアを組む24時間体制のケアが始まった。

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 福井県内で子どもホスピスの建設を目指し、子どもを亡くした親や看護師たちが団体を立ち上げ、活動している。当事者の思いや小児医療の現場の声を紹介し、日本では普及していない子どもホスピスの役割について考える。

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