江戸時代の上司は優しかった? 規定日数以上の病欠に寛大対応「ゆっくり休みなさい」 兵庫・丹波の古文書に記述 

武士の病欠についての記述がある「柏原藩政日記」=丹波市柏原町柏原、柏原歴史民俗資料館

 江戸時代の上司は優しかった? 病欠が規定の日数を超え、辞職を申し出た家臣に対し、殿様が「ゆっくりと休みなさい」とお達しを出したと、兵庫県丹波市指定文化財の古文書「柏原藩政日記」が伝えている。

 柏原藩は1598(慶長3)年、現在の丹波市柏原地域で成立。3代で藩主が途絶え、1695(元禄8)年に再興した。日記は廃藩置県のある1871(明治4)年までの藩の公式記録。一連の記述は、同市の地域史研究家・山内順子さんが、地元にあった和算塾の歴史を調べる中で見つけた。

 登場するのは、勝川次郎太夫と省之助の親子。そろって柏原藩に仕える武士とみられる。

 天保14(1843)年8月3日の日記は「省之助が発熱により勤務を休んでいる」と藩に届けがあったと記録。同年10月19日の文章には、親の次郎太夫から次のような内容の「願書」が出されたとある。

 「省之助は図らずも大病を患いました。快方に向かっているとはいえ、いまだ出勤できるほどではなく、長い欠勤で恐れ入ります。もはや規定の休養日数も過ぎており、退職をお許しくださるようお願いします」

 これに対し、当時の藩主・織田信貞はどう応じたのか。同年12月28日の記述は「せがれの省之助が大病を理由に退職したいとのこと、殿様もお聞きになったが、心ゆくまで保養すればよいと仰せである」。完治してから勤務すれば良いという判断なのだろう。

 病欠についてある程度のルールはあったのかもしれないが、現代のような労働者の権利を守る法律はなかったことを考慮すれば、「おおらかで心優しい通達に感じた」と山内さん。寛大な処遇の理由を「藩主の人柄」「父・次郎太夫への信頼」などと推測する。

 記録は断片的で結局、省之助が職務にとどまったのかは分からない。それでも山内さんは「パワハラ被害など仕事に関する心苦しいニュースが多い昨今。史料を読んでいて気持ちがほっこりした」と振り返る。

 訳文は、氷上郷土史研究会の会誌「冰上」第6号に収録された山内さんの論考を基にし、一部表現を省いた。(那谷享平)

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