生きる伝説の最高峰!1970年代のスティーヴィー・ワンダーは神がかっていた  5月13日はスティーヴィー・ワンダーの誕生日!

生きる伝説の最高峰、スティーヴィー・ワンダー

2023年5月13日、スティーヴィー・ワンダーは73歳の誕生日を迎えた。芸歴60年超、同時代に登場して1960年代初頭から活躍するボブ・ディラン、ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、フランキー・ヴァリ(フォー・シーズンズ)、ポール・マッカートニー(ビートルズ)、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)等々といった現役アーティストたちと並んで、“生きる伝説” という称号が相応しい数少ないシンガーのひとりだ。

同時期に出現した伝説的シンガーたちが、おおむね80代を迎える中、スティーヴィーが突出して若いのは、12歳でデビュー、13歳で全米ナンバーワン獲得(1963年!)というまさしく神童と呼ばれた背景を経たものであって、その後の一般的ヒットの多さや21世紀以降の現役感の強さも鑑みれば、“生きる伝説” 最高峰と言ってもいいのではないだろうか。

スティーヴィー・ワンダーの長いキャリアにおける実績・功績は、モータウン躍進・全盛期の屋台骨を支えた1960年代、最も神懸かりという言葉がピッタリな歴史に残る大ヒット連発の1970年代、最大公約数的な良質コマーシャリズムに徹した1980年代、もはや15年に1作という神をも超えた創造主レベルの高みに到達した1990年代以降… ザックリと言及するならば、そんな形で各ディケイドに刻まれてきた。

モータウン隆盛期の重要な一角を担った1960年代、歴史に深く強い爪痕を残した1970年代

ほぼほぼティーンエイジャー期を駆け抜けた1960年代、スティーヴィーは、ミラクルズ(スモーキー・ロビンソン)、マーヴェレッツ、マーサ&ザ・ヴァンデラス、シュープリームス(ダイアナ・ロス)、テンプテーションズ、フォー・トップス、マーヴィン・ゲイといったレジェンドたちと共に、モータウン隆盛期の重要な一角を担った。

しかし彼が大衆音楽の歴史に深く強い爪痕を残したのは1970年代と言われる。モータウンを筆頭にしたソウルミュージックの世界ではおおよそ当たり前だった分業制(歌い手と作り手のような)に従っていた1960年代を経て、20代に突入した1970年代以降はいわゆる ”クオリティ・コントロール” の獲得が実現し成功した時代だったのだ。

マーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、ダニー・ハザウェイ等々が自分で曲を作り、プロデュースし、自分で歌うという日本でいうところのニュー・ソウルな潮流を作っていく中、スティーヴィー・ワンダーの影響力(神通力と言い換えてもいいのかもしれない!)は、誰よりも大きく強く、1970年代の大衆音楽においては最強だったといってもいいだろう。

それほどスティーヴィーの1970年代は、″神懸かって” いたし、名実ともにこの時期の作品群の輝きはますます増大し、決して衰えることはなかった。重ね重ねこれら作品をリリースした1970年代が、20代(19〜29歳)という若さだったことにあらためて驚かざるをえない。

最高傑作は「ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ」

スティーヴィー・ワンダーの1970年代は、3部作と呼ばれる『トーキング・ブック』(1972年)、『インナーヴィジョンズ』(1973年)、『ファースト・フィナーレ』(1974年)、そしてワンダー史上最高傑作の誉れ高い『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』(1976年)、この4枚のアルバムに尽きる。というか激動の1960〜1970年代のソウルミュージック、延いてはロックエラにおける大衆音楽の歴史上、この4作を避けて通るわけにはいかないだろう。

スティーヴィーのキャリア上、代表作といわれるような大ヒット、名作はほぼこれらアルバムから生まれている。「迷信」「サンシャイン(You Are The Sunshine Of My Life)」は『トーキング・ブック』から、「ハイヤー・グラウンド」「汚れた街(Living For The City)」「くよくよするなよ(Don’t You Worry ‘Bout A Thing)」は『インナーヴィジョンズ』から、「悪夢(You Haven’t Done Nothin)」「レゲ・ウーマン(Boogie On Raggae Woman)」は『ファースト・フィナーレ』から、そして圧巻の「回想(I Wish)」「愛するデューク」等は『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』から…。

スティーヴィーの神懸かり状態を表したポール・サイモンのコメントとは?

いまだ老若男女の広い一般層に訴求する彼の代表的ヒットソングは、ほぼほぼこの時代に誕生しているのだ。1960年代からその傾向はあったが、ソウルミュージックの範疇を超えた究極の大衆音楽の高みに到達した感さえをも抱かせる。

一方でファンクを基盤とした独特の “スティーヴィー唱法” をも確立、しっかりとブラックコミュニティへの精神的支柱たるアイコン的スタンスを自然と滲みださせている点も見逃せない。それこそが神懸かりの時期と言われる由縁だろう。

スティーヴィーは1974年と1975年のグラミー賞で、それぞれ『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ』で主要部門たる最優秀アルバム賞を受賞した。そもそも2年連続で最優秀アルバム賞を獲得したこと自体が史上初の快挙だったし、世間の雰囲気もスティーヴィーの受賞は当然というものだった。

実際アルバムをリリースしなかった1976年グラミー賞(1975年対象)を1年あけて、1977年は『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』で3度目の最優秀アルバム賞を受賞している。この時期はアルバムを出せばグラミー賞獲得というまさしく神懸かり期だったし、全世界が納得の受賞だっただろう。これは有名な話だが、1976年グラミーで最優秀アルバム賞を受賞したポール・サイモンの以下のコメントが、スティーヴィーの神懸かり状態を如実に表していた。曰く、

「まずはスティーヴィーに感謝したい。ありがとう、今年(1975年)アルバムを出さないでくれて」

常にエンターテイメントに徹するスティーヴィーの姿勢

2005年スティーヴィーは新アルバムの宣伝のため、初のプロモーション来日(商業ライブではない来日)を敢行した。筆者はその際、1週間弱にわたって時間を共にしたのだが、常にエンターテイメント(人を喜ばせる)に徹するその姿勢に、大いに感銘を受けたものだった。

この時は10年ぶりのアルバムのプロモーション来日だったが、それ以来約18年が経過したがその間新しいアルバムはリリースされていない。

モータウンはスティーヴィーのみ別格扱いで、特に締め切りを設けずいつなんどきにアルバムをリリースしてもいい、ということにしているらしい。それは当然といえば当然のこと。なんといってもスティーヴィー・ワンダーは、生きる伝説的な神なのだから。

カタリベ: KARL南澤

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