ダビンチに続け…「現代のユートピア」時空を超える風の彫刻家 「究極の造形美」世界遺産の城で個展

シャンボール城と作品が共演した

 新宮晋(85)は時々、時空を超える。…ような体験をすることがある。

 2019年秋から半年、フランスの世界遺産シャンボール城で個展を開いた。仏ルネサンス様式の最高傑作と名高い城で、レオナルド・ダビンチが構想に関わったとされる。

 準備のため10日ほど城に泊まった。深夜、皆が寝静まると白ひげのダビンチが現れた。「万能の天才」は自身がやり遂げられなかった仕事について語り、最後の夜にはこう言った。「おまえも本当にやりたいことだけをやればいい。500年たっても価値のあることをやれ」。ダビンチが亡くなったのは1519年。個展は没後500年を記念したものだった。

 「まあ冗談半分ですが、僕の中ではレオナルドがちゃんと現れるんです。歴史上の物語を遠い昔の出来事と切り離して見るんじゃなくて、つながっていたいという意識が強いのかな。その時代に僕がいたか、僕のいる所にやってくるような感じで。時空を超えた結びつきみたいなものが体質としてあるんだと思います。ちゃんと現れる」

            

 シャンボール城に招かれるきっかけは2018年12月、ルクセンブルクの国立美術館で開いた展覧会だった。1人の紳士が会場を訪れ、アートの力でユートピアを実現しようとしている日本の芸術家がいると聞いて飛んできた、という。城の文化企画ディレクターを名乗った。

 翌年はダビンチ没後500年だけでなく、城が着工した年でもある。春から秋にかけてダビンチの「ユートピア」展を企画しており、それに続く個展を開いてほしいという。

 彼は、新宮とダビンチの共通点を次々と挙げた。空気や水の流れに対する強いこだわり。自然から学んだ構造や仕掛けの考え方。アイデアを手帳に描き留めたデッサンやメモも、ダビンチが残した手稿に似ていた。そして何より、2人とも子どものような好奇心を保ち続けている。

 あまりに突然のことで「シャンボール城が飛んできたような衝撃」だった。

             

 城の建築を命じた国王フランソワ1世は、着工の3年前にダビンチを「王の画家、技術者、建築家」としてイタリアから招いた。ダビンチは最晩年をフランスで過ごし、理想の町の計画を練っていたという。城の建設は死後に始まったが、彼の発想が影響しているとされる。

 新宮にとっても特別な城だった。20年前に初めて訪れた朝のことが、映画の情景のように脳裏に焼き付いていた。

 深い霧が一帯を覆っていた。早く着きすぎたため開門を待っていると、ゆっくりと霧が流れ始めた。太陽の光が差し込んだ先に、突然、無数の尖塔(せんとう)が姿を現した。

 全体のバランスなど無視したかのように様式も高さも太さも異なり、乱立している。異様なまでの迫力に、ダビンチの存在を強く感じた。「究極の造形美」だと思った。

            

 とてつもないスケールの城が舞台の個展となった。

 城の前に配置したのはウインドキャラバンで世界の辺境を巡った21基で、鮮やかな黄色の帆を張った。運河には「光のさざ波」を浮かべた。1993年に制作したもので、普段は三田のアトリエの池に主のように鎮座している。

 城内には、わずかな風で動く超軽量作品を据えた。暗い部屋の天井につるし、床に置き、ライトで浮かび上がらせた。重厚な内装の空間に、光と影が幻想的に溶け合った。

 展覧会のタイトルは「新宮晋 現代のユートピア」。ここで、新宮は長年温めてきた「地球アトリエ」構想を発表した。美術館や劇場、アトリエ、カフェなどの建物群が輪のように連なる。世界中のアーティストや文学者、科学者らが集い、地球の未来の生き方を考える。政治や経済では解決できない問題をアートの力で解決しようという試みで、新宮の描くユートピアだ。

 地球アトリエは兵庫県の協力を得て、兵庫県三田市の県立有馬富士公園で実現させようとしていた。=敬称略 (土井秀人)

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