信楽列車事故32年 亡き娘思い粘土でお地蔵さま 京都の遺族「手のぬくもり伝える」

「みなさんが悲しい思いをしないでいいように、一歩でも安全に向かって進んでほしい」と話す臼井泰子さん(京都市右京区)

 信楽列車事故で京都市右京区の臼井泰子さん(80)は、JR西日本列車に乗車していた長女の信子さん=当時(26)=を亡くした。祈りと手のぬくもりを伝えられればと、近年、地蔵菩薩(ぼさつ)像を一体、一体、心を込めて制作している。体調がすぐれずしばらく事故現場を訪れることはできなかったが、三十三回忌になる14日の滋賀県甲賀市での慰霊法要は「お参りに行きたいと思います」と悲しみをこらえる。

 事故に遭った信子さんは1991年5月、開催されていた世界陶芸祭に、異業種交流の協同組合「ハイタッチ・リサーチパーク」の視察で向かっている際に巻き込まれた。陶芸専門研究員として、将来を嘱望されていた。

 泰子さんは、自宅近くの嵯峨野を一緒に散策していた信子さんの姿を思い出す。「子どもの頃から手を合わせるのが身についていて、事故の前の日もお地蔵さまを拝んでいました」としのぶ。

 夫の和男さんは染色デザイナーで、工芸美術展に連続入選するなど創造性豊かな作品で知られていた。事故の後、他の遺族や有識者とともに市民団体「鉄道安全推進会議」を結成して会長になり、再発防止のためには日本にも専門的な鉄道事故調査機関が欠かせないと訴え、半生を鉄道安全にささげた。

 その市民活動は、2001年に国の航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の発足へと結実した。

 活動中の1996年に鉄道安全推進会議メンバーで外国の鉄道安全の取り組みを学ぶためにヨーロッパを視察した際、泰子さんも同行した。信子さんの遺志を継いでガラス工芸も習い、視察で心に残った橋をデザインしたものを帰国後につくり、作品展を開いた。和男さんが絹の生地に世界地図を型染めし、陸地部分に「安全」と「平和」の文字を染めた着物とあわせて、祈りの「二人展」も行った。

 和男さんは一層の鉄道安全を目指して尽力していた2005年、病気で65歳で他界した。JR西日本の福知山線脱線事故が起きる2カ月前のことだった。

 泰子さんは2年ほど前から、自宅で粘土をこねて地蔵菩薩像を作っている。「信子のこと、夫のことを思い、一緒に生きさせてもらっているという気持ちで、心が落ち着きます」と静かに語る。

 地蔵菩薩像は手を合わせたものや笠(かさ)をかぶったものなど高さ10センチ未満で、背に「和」と「信」の文字が刻まれている。

 「和は、夫が願い続けていたことですし、信は信じる。安全で平和な世の中であってほしいし、みんな信じてつながってほしい」と話す。

 正面衝突事故の当事者のJR西日本と信楽高原鉄道への思いを尋ねると、「鉄道は命を預かっている仕事です。愛する自分の家族を列車に乗せていると思って、安全を尽くしてほしい」と、たゆまぬ取り組みを求めた。

手を合わせた「お地蔵さま」

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