「夢中になってやっていたら30年経った」Jリーグが静岡、そして全国へもたらした“新しい日常” 5月15日で開幕から30年

30年前の5月15日、Jリーグが開幕。サッカーを取り巻く環境は劇的に変化しました。Jリーグは、日本サッカーの発展だけでなく、わたしたちの日常にも大きな変革をもたらしています。

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Jリーグ発足で日本、そして静岡のサッカーは大きな変化を遂げた

<Jリーグ 野々村芳和チェアマン>

「確実にこの日本に本物のサッカー文化が根付いてきていると感じています」

5月15日、東京都内で開かれたJリーグの開幕30周年を記念するイベント。この30年間のMVPには、ジュビロ磐田の遠藤保仁選手が選ばれ、多くの人が積み重ねた歴史を噛みしめていました。

1993年5月15日。Jリーグは華々しくスタートを切りました。静岡県内からは1年目から清水エスパルスが、そのあと、ジュビロ磐田が参入し、年間チャンピオンを争うなど一時代を築きました。

この30年間、ずっとJリーガーであり続けた唯一の存在が、J3アスルクラロ沼津に所属する伊東輝悦選手(48)です。

<アスルクラロ沼津 伊東輝悦選手>

「夢中になってやってたら、30年経ったなみたいな」

ピッチから眺め続けたJリーグという存在は、伊東選手にとって目指すべき舞台でした。

<アスルクラロ沼津 伊東輝悦選手>

「Jリーグがスタートした時の華やかなイベント。あのとき入団1年目で、まだその当時はトップチームとサテライトチームで分かれていて、サテライトチームでやっていたが、すごく華やかで派手で、始まったなという。早くあそこに立ちたいなって。そんな思いでした」

Jリーグの存在は、サッカーをプレーする環境も劇的に変えました。

<藤枝東FCジュニアコーチ>

「ボール受けるまで準備できてる?集中するよ」

平日の午後7時過ぎ、藤枝東高校のサッカーグラウンドで汗を流していたのは「藤枝東FCジュニア」です。全面人工芝のグラウンドは、クラウドファンディングで整備費用を1,000万円以上集めたといいます。

<藤枝東FCジュニア 長谷川達巳代表兼総監督>

「藤枝東高校OBの方がJリーグで活躍されて、そういった影響も非常に大きい。もしJリーグがなかったらこういった素晴らしい環境で(子どもたちが)サッカーをやることもできなかったかもしれないと思う」

中山雅史さん(現J3沼津監督)や長谷部誠選手(独フランクフルト)といった数々のレジェンドを輩出した伝統のグラウンド。多くの子どもたちがいまも夢を持ってプレーしています。

<小学6年生>

「Jリーグで得点王になること」

<小学6年生>

「Jリーガー、J1で松木玖生選手みたいな感じでレギュラーを勝ち取って活躍したい」

Jリーグを地域振興に結び付けたいという動きも。浜松市ではいま、新たにJリーグチームを立ち上げようという機運が高まっています。

<浜松市サッカー協会 鳥井徳孝会長>

「市民のみなさんと一緒にこれから浜松を元気にするためにも浜松をホームタウンとするJリーグのチームを作っていきたい」

浜松市サッカー協会によりますと、全国の政令市でJリーグのチームがないのは浜松市だけ。現在は検討段階ですが、市内の企業を中心にスポンサーを募り、本格的に10年後のJリーグ参入を目指すということです。

まだまだ拡大を続けそうなJリーグ。静岡市清水区出身の野々村芳和チェアマンはさらなる発展を誓います。

<Jリーグ 野々村芳和チェアマン>

「もちろん30年やって、地域と本当にいろんな意味でうまくやれたかっていうと、まだまだできていないクラブ地域も多いと思うんですよね。だから、その輪をもっと広げていくっていうことをやっていければJリーグ自体ももっともっと魅力的になっていくと思います」

サッカーを一気にメジャーなスポーツに押し上げたJリーグ。さらに地域を元気にすることが今後も求められそうです。

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