現存する最大級の被爆建物「被服支廠倉庫」 G7広島サミット取材の海外メディアに紹介 神戸の大学院生が資料作成「被害と加害の両面伝える文化財」

国内最大級の被爆建物「旧広島陸軍被服支廠倉庫」=広島市南区(白数さん提供)

 先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)が19日から広島市で開かれる。広島で被爆した建物は、原爆ドームが有名だが、現存する最大級の被爆建物は「旧広島陸軍被服支廠倉庫」(広島市南区)だ。神戸市兵庫区に住む大阪公立大の大学院生、白数夏生さん(25)は「被服支廠」を研究し、作成した資料がサミットを前に広島を訪れた海外メディアの記者に配られた。白数さんは、旧日本軍の遺構を「被害と加害の両面を伝える重要な文化財」と捉え、活用を期待する。(高田康夫)

 被服支廠は、陸軍兵士の軍服や軍靴などの製造、貯蔵を担う施設で、現存する4棟は1913(大正2)年に完成。国内でも古い鉄筋コンクリート造りで、れんが造りも融合した建物として歴史的価値が高いという。多数の鉄扉は原爆が投下された際、高温の爆風で折れ曲がり、そのままの姿を残す。

 被爆時に倒壊せず臨時救護所になった被服支廠には多数の負傷者が収容され、多くがそこで息を引き取った。「ちちをかえせ ははをかえせ」で知られる詩人の峠三吉も、この場所で亡くなった人々の悲惨さを文章に残した。

 戦後は学校の教室や大学の学生寮、民間企業の倉庫などとして使用された。広島県は2019年、所有する3棟のうちの2棟を解体する案を示したが、保存を求める署名活動が展開され、21年に3棟とも耐震化する方針に転換。国が所有する1棟も22年に耐震化が決まり、全4棟が保存される見通しになった。

 広島市の出身で、広島の工業高等専門学校で建築を学んだ白数さん。解体と保存で揺れていた当時から「自分がやらなければ」と被服支廠の研究を考え、大阪公立大大学院に進学した後に本格的に着手した。修士論文で取り上げると、広島県職員らの目に留まった。

 白数さんは、耐震化工事を前に、広島県が行った歴史調査にも協力。東京駅や各地の旧日本軍施設との比較ができる修士論文の資料は、サミットを前に企画された海外メディア向けのプレスツアーで紹介された。1月にはポーランドやハンガリーなどのメディアが訪れ、白数さんの資料を手に被服支廠を見学した。

 ロシアによるウクライナ侵攻で核兵器の脅威が強まる中、「中欧や東欧で関心が高いのではないか」と白数さん。「広島は原爆の被害で語られることが多いが、戦時中は軍需の経済効果で市民に恩恵があり、日本軍はそこで作られた軍服を着て戦争をした。被服支廠を訪れて、被害と加害どちらの面もあったと知ってほしい」と話す。

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