長崎を忘れていないか

 この先、「訪問」の上に「歴史的な」のひと言を添えて語られるだろうか。先進7カ国(G7)の首脳が広島原爆資料館を訪れた。詩人、有馬敲(ありまたかし)さんの「ヒロシマの鳩(はと)」という詩の一節を思い浮かべる。〈近くの球場から聞こえる/大歓声よりも高く鳴け/苦、苦、苦、苦、苦〉▲原爆にも空襲にも地上戦にも「苦、苦、苦…」といくら重ねても足りない痛み、むごさがある。まずは「そこで何が起きたのか」を心に刻まなければ、核兵器をなくす、戦争をなくす歩みも踏み出しようがない▲原爆資料館で、核兵器を持つ米英仏の首脳も被爆のむごさに触れた。ハトの鳴き声は聞こえたはずだと思いたい▲その「核なき世界」を唱える一方で、米国の「核の傘」は不可欠だ、とバイデン大統領と確かめ合う。この矛盾を岸田文雄首相はどう考えるか。満面の笑みからはうかがえない▲広島に首脳を招き、この上なく誇らしいのだろう。被爆地を要人が訪ねるのは大切だとしても、広島への“一極化”を感じる人は少なくあるまい▲長崎の被爆歌人、竹山広さんに一首がある。〈原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず〉。被爆国、あるいは日本政府が原爆を忘れている。そんな嘆きだろう。長崎を忘れてはいないか。日本の首相にそう問うのはやるせない。(徹)

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