G7広島サミット 首脳の原爆資料館訪問 長崎の被爆者らは歓迎と落胆 「核軍縮前進の契機に」 

テレビ中継で首脳らが献花する様子を見守る三田村さん=長崎市松山町、県被爆者手帳友の会事務所

 広島市で開幕した先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に合わせ、G7首脳が原爆資料館を視察した19日、長崎の被爆者らは「核軍縮を力強く前進させる契機に」と歓迎しつつ、長崎の被爆者の姿がなかったことに落胆の表情を浮かべた。
 長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(82)は長崎市内の自宅でテレビ中継を見つめた。ロシアが核のどう喝を繰り返すなど核軍縮の機運が後退する中での開催に「核と人類は共存できない。『開催した』で終わらせることなく、実際に行動に移して」と訴えた。原爆を投下した米国のバイデン大統領から謝罪の言葉などはなく「核兵器をなくす決意と、『使ってすまなかった』という気持ちを示してほしかった」と不満げに話した。
 「(サミットの前後に)なんで長崎には来ないのかな」。同市の県被爆者手帳友の会の事務所。テレビの映像を眺めながら三田村静子副会長(81)がつぶやいた。広島の被爆者との面会は「良かった」としつつも「長崎の被爆者とも対話し、苦しみを聞いてほしかった」と残念がった。
 G7首脳が資料館を視察した同時刻、長崎市の長崎原爆資料館で、小峰秀孝さん(82)が修学旅行生に被爆体験を語っていた。4歳の時、長崎で被爆し、熱傷で足先が変形。小学校で「腐れ足」などといじめられ、米国を憎んだという。「戦争、原爆を憎め」という母親の言葉に触れ、平和の大切さを伝えた。講話後、献花をするバイデン氏の姿をテレビで見つめ「被爆者が生きている間に世界から核兵器をなくす先頭に立って」と語った。
 第25代高校生平和大使の宮崎優花さん(17)=県立長崎西高3年=は帰宅後、被爆者と面会するニュースを見た。「ここで満足せず核兵器廃絶に希望を持てるような、さらなる発信を」と期待を寄せた。

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