もう緻密すぎて怖いくらいの傑作 『aftersun/アフターサン』『TAR/ター』茶一郎レビュー

はじめに

お疲れ様です。茶一郎です。映画スクエアpresents 「スルー厳禁新作映画」第8回目の作品は『aftersun/アフターサン』、そして『TAR/ター』。二作とも今年ベスト級の、もう良くできすぎていて怖い作品です。二作とも共通点が多くありますが、一番は映画全体のデザイン、全てのシーン、セリフが無駄なくテーマのために研ぎ澄まされています。余りに緻密な映画のため、1回目より2回目、3回目と複数回鑑賞していくとドンドンと面白く観えてくるという、そんな2作品です。

特に『TAR/ター』を取り上げて欲しいというDM、コメント沢山ありましたので、公開前の『aftersun/アフターサン』は紹介・予習用に止めまして、メインは『TAR/ター』じっくり詳細にお話したいと思っています。「スルー厳禁新作映画」、今回は『TAR/ター』メインで『aftersun/アフターサン』も紹介の、2本立てでお願い致します。

『aftersun/アフターサン』 どんな映画?

『TAR/ター』だけで良いという方はお手数ですが、シークバーから飛ばして下さい。ただ『aftersun/アフターサン』(『aftersun/アフターサン』以下『aftersun』と表記)も素晴らしい出来です。物語は11歳の主人公が今は母親と別居している父と夏休みに休暇に行くという、よくある「一夏モノ」です。夏の日差しとプール、普段は接しない年上と知り合って背伸びをする、自分だけまだ足が底につかないプールに入って、旅先でだけ出会う少年と期間限定のロマンス。とても瑞々しい多幸感に溢れた11歳の少女の「一夏モノ」としても『aftersun/アフターサン』は爽やかな作品なのですが、本作が特別な作品になったのは、この一夏と青春の瑞々しさと同時に、その裏に実はあった闇、心の傷、子供には気づけなかった残酷な面を浮き彫りにしていることです。

日本の宣伝コピーが素晴らしい。「20年前のビデオテープに残る、11歳の私と父のまばゆい数日間。」しかしと、「あの時、あなたの心を知ることができたなら。」。本作は現在、当時の父親と同じ年齢になった主人公が、父親のビデオテープを掘り出して、見るという所から始まります。オープニングクレジットに重なるビデオの起動音。大人になった主人公があの夏を思い出すという物語構造が浮き彫りにする、父親のあの時は気付けなかった父親の心の傷。これが本作を特別なものにしている要素です。

こういった子供を主人公にした「一夏モノ」は、普通は、子供が体験、見たものがそのまま物語になるパターンが多いと思うんですが、本作は主人公が寝た後、ホテルの部屋のベランダで何かは分からないけど、心の傷に我慢しているような父親の姿を映す、主人公と別行動をしている父親の何かは分からないけど何とか生きることに耐えている父親を見せる。とても仲の良い兄妹に間違えられるような親子、主人公は父にビデオカメラを向けて、また心のビデオカメラでも父を子供ながら知ろうとするけれども、それでも父親を完全に知ることができなかった、全てが終わった後、ずっと心に残っていたまさしくaftersun 「日焼けした後」のような「後悔」が作品全体に通底していて、瑞々しい多幸感と同時に胸を切り裂くような切なさと怖さを同時に体験させられる重層的な「一夏モノ」として仕上がっています。

監督と最高のダンスシーン

この幸せで残酷な傑作を撮ったのは、何と本作が初長編監督作というシャーロット・ウェルズ。彼女は本作のプロデューサーを務めているバリー・ジェンキンスの『ムーンライト』(とても本作は『ムーンライト』に似ていますが)、他にもシルヴィア・チャン『あなたを、想う。』、シャンタル・アケルマンの諸作品を基に『aftersun』を作ったとの事です。昨今、時代と共に評価が上がっているシャンタル・アケルマンですが、後で取り扱う『TAR/ター』もシャンタル・アケルマンの『アンナの出会い』のホテルのシーンをコピーしたシーンもあって、二作とも影響を受けているという昨今の最重要監督になりつつあります。

本作はシャーロット・ウェルズの過去の短編作品、特に『Tuesday』という父親を亡くした主人公が、火曜日だけ今は亡き父親の家に行く、「家族と赦し」というテーマ。もう亡くなってしまった父親を想う気持ちが作品に軸になっているという意味で、本作はこの『Tuesday』の発展系と言えると思います。僕も小さい頃、親が泣いていたり、何かに怒っていたりして、子供の頃は何で泣いてるの?怒ってるの?分からないけど、大人になって、人生の伏線回収と言うんでしょうかね、成長してあの頃の親の気持ちが少し分かるようになる経験は何度もしていて、本作『aftersun』の現在からあの頃を振り返って、自分の後悔と向き合う物語は監督の個人的なものを越えた普遍的なものだなと、強く刺さりました。

幸せな夏の映像に差し込まれる、強烈なストロボの映像。後ろで大空を飛ぶパラグライダー、強い「自由」の象徴の一方、何かに悩んでいる父親の姿。父親が呼んでいる「瞑想」の本。子供の頃は分からなかったけど、父親が故郷に帰れない事実、親との関係性。全編至る所に、父親の心の傷のレスキューサインが観客に示されます、観客は気付きますが、大人になった主人公は気付いていると思いますが、当時主人公は子供だったから、当然、それに気付くことはできなかった、この本当に悲しい後悔の物語ですね。

劇中、見事な使われ方をする♪アンダー・プレッシャー 社会的、経済的な圧力「プレッシャー」に苦しむ父の「ラストダンス」そして後悔をずっと背負ってきた主人公は自分を赦すことができるのか?この♪アンダー・プレッシャーは今年一番の感動を生むシーンだと確信しています。皆さんもきっとご自身の体験と照らしてしまうしまうような普遍的なパワーのある、幸せだけど残酷で切ない映画『aftersun/アフターサン』です。ぜひご覧ください。

『TAR/ター』 どんな映画?

『TAR/ター』(以下『TAR』と表記)はとてつも無い映画です。丁度、先週の公開日翌日に生配信を行なった際、ご視聴者様の多くが「今年ベスト」と名前を挙げられていて作品のパワーを再確認いたしました。僕も全く同意で、今年、本作以上の…何かこう…観客を突き刺してくるような鋭さを持った鋭い作品に出会える気がしないです。

褒めない人はいない権力の“モンスター”と化した主人公を憑依させたケイト・ブランシェットの凄さは当然。観客を襲いにかかる脚本、鋭い名台詞。ワンカット、ワンショットが完璧でシャープな撮影。観客の三半規管を狂わせるような編集で時間の感覚は狂っていく。シェイクスピア悲劇のような重厚さと同時に、ホラー映画的な恐怖体験を味わえるジャンル映画的な魅力もあるという、もう良い所を言っていたらキリがない。この企画では通常、ネタバレはせずに映画の紹介だけに止めていますが、今回は途中ネタバレの警告を入れながら詳細に作品の魅力をまとめさせて下さい。

『TAR/ター』 あらすじ

『TAR』物語は非常にシンプルで。主人公はリディア・ター。『ウエスト・サイド物語』の作曲で映画ファンにはお馴染みのレナード・バーンスタインに師事し、E.G.O.T、テレビ業界での最高賞エミー賞(E)、音楽業界はグラミー賞(G)…映画業界はオスカー(O)…アカデミー賞、演劇業界における最高賞トニー賞(T)…EGOT…この呼び方を初めて知りましたが、あらゆる業界で最高の名誉ある賞を獲り、ベルリンフィル初の女性指揮者、「ター・オン・ター」という自伝本の出版も控えと…華々しいキャリアの絶頂にいる主人公ターが、ある事をきっかけに精神を追い詰められ崩壊していくという…栄枯盛衰、権力とその崩壊の物語を描きます。

本作のキーワードとテーマ

実は『TAR』は冒頭、ちょっと驚く仕掛けがあるのですが、それはネタバレありパートで説明することにして…まず冒頭、ターの講演会、トークショーから開幕しますね、映画は長ーくこのターのトークをじっくり見せますが、本作はこのターの講演にテーマ、その後の物語展開の伏線、全てを詰め込んでいます。なのでこれからご覧になる方は最初、集中してセリフ、お聴きいただければと思います。

二回目本作を観た時、冒頭で全部示していたのかと驚く、この構成の華麗さ。監督のトッド・フィールドは本作合わせてまだ三作品しか撮っていない超寡作の監督で、前作から本作まで何と16年もの時間を要しているのですが、本作はトッド・フィールドの初長編監督作、こちらも傑作の『イン・ザ・ベッドルーム』と要素が似ています。『イン・ザ・ベッドルーム』のしっかり者の母親・主人公の奥様が高校で合唱団の指揮者をしている、この指揮者というモチーフと、その後、母親が家族のコントロールを失う展開。この『イン・ザ・ベッドルーム』も冒頭の何気ないセリフでテーマ、物語を全て説明・暗示します。

『TAR』冒頭、とても観客の耳に残るのは“Time”「時間」という言葉です。音楽という表現において「時間こそが最も重要なんだ」とターは言う。“Time” “Time” “Time” ターは“Time”と連呼します。嫌でも観客は「あーこれは『時間』がテーマの映画なんだなぁ」と意識しますが、まさしくこの『TAR』という映画は、中盤まではじっくりゆっくり主人公ターが次のコンサートに向けてリハーサルを繰り返す様子をじっくりと時間を刻んでいく、一方、中盤からそんな序盤とは異なり、テンポがおかしくなっていく、時間軸、時間感覚が狂っていく、急に時間が飛んだり、シーンがぶつ切りになったり、明かに編集が序盤とは異なるテンポを取っていくという、どんどんとターの “Time” が狂っていく…、主人公が追い詰められていく様子を編集テンポで表現していっているという、こちらも見事な映画のデザインを取っています。

「指揮者なんて人間メトロノームじゃないの?」と意地悪な質問をするトークショーの司会者に対して、「それは部分的には正しいかもしれないが、指揮者の手は時計の針かもしれないが、指揮者がその時計をスタートさせるんだ、それこそが重要だ」と。今まで指揮者のように、音楽を、人生をコントロールしていたター、それを表すように中盤までは基本的に物語はターを軸に、全てターのアクションきっかけで他の登場人物が動いていきます。しかし中盤からまさしくターは「メトロノーム」を他の何者かに起動させられちゃうんですね。今まで“人間メトロノーム”としてテンポを自ら取って、時間をコントロールしていたターが、別の人が動かしたメトロノームのテンポに浸食されていくと、そんな主人公の精神の崩壊と、狂っていく編集 “Time” を重ねていく映画が『TAR』です。

まとめとネタバレ注意

“Time” “Time” “Time” 。ターは誰かが動かしたメトロノームのテンポによって、今までコントロールしていた“Time” を狂わされていくと、その誰かとは誰なのか?というお話ですね。中盤以降『TAR』はほとんどホラー映画の様相を帯びていきます。初見時は優れたホラー映画として興奮、堪能しました。しかもホラー映画はホラー映画でもJホラーですね。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『セッション』のような権力モンスターの映画から中盤は黒沢清のホラーのような恐怖体験へ。

この気付いたらジャンルが変わっていく感覚は、先ほど名前を挙げたトッド・フィールドの長編処女作、ラブストーリー的OPからヒューマンドラマからの、予想もできない物語展開を見せるジャンルが流動的な『イン・ザ・ベッドルーム』と重ねても良いかもしれません。ともかく「心霊映画」として僕は中盤以降の『TAR』を観ました。ここからは中盤以降について話しますので、お聴きになりたくない方は、本編ご鑑賞にご視聴下さい。

!!以下は本編ご鑑賞後にお読みください!!

心霊映画としての『TAR/ター』

この『TAR』の影の主役というか、その心霊の正体はやはり冒頭のトークショーから、暗に、本当に暗に示されるんですね。上手いんですね。『TAR』という映画は構図、撮影が緻密で、鏡を多用して左右対称の幾何学的なカットが多い。監督のトッド・フィールドは元々役者でスタンリー・キューブリックの遺作『アイズ ワイド シャット』にあの脇役ながら印象的なナイチンゲール、ピアニストとして出演しながら、監督作のアドバイスをキューブリックからもらっていたらしいです。

スタンリー・キューブリックと言えばシャープな撮影、左右対称の構図ですから、師匠キューブリックを思い出す映画でもありますが、キューブリックと違って奇妙な事に本作は、あれだけ人生を、オーケストラを、業界をコントロールして、権力を手に入れたターを画面の中央に配置してくれないんですね、特に冒頭から中盤まで。なぜか中央よりズレた所にターを配置したり、鏡を使って画面に二重にターを配置したり、あれほど強固な存在のはずのターを中央に配置してくれない、観ていて居心地の悪い映像が続きます。

一方で、冒頭、画面の中央を陣取っている人物が登場します。これが心霊の正体、本作の影の主役ですね。トークショーに出て意気揚々と音楽について語っているターを見ている長い赤い髪の毛の人物の後ろ姿がドーンと映ります。2カットくらいでしょうか、観客は画面の中央から外され、居心地の悪さを感じるターの一方、安心感のある中央に存在する謎の赤髪の人物、本当にサブリミナル的にチラっチラっと映るだけですが、とても印象に残ります、何者だこいつはと、めちゃめちゃに権力を持っているターが何か、より強大な存在に見られている気持ちの悪い、サブリミナル映像のような、ほとんど心霊映像に近いものを観客は冒頭から見せられるんですね。

思えば本作のど頭は、ターではなく、ターを見ている人の視点から始まります。ターがほとんど付き人のようにコキ使っているフランチェスカという指揮者が、ターをスマホのライブカメラに映しながら誰かとチャットしている「まだ愛しているの?」このチャットしている相手は誰なのか?赤い髪の何者かがターが泊まっているホテルのロビーに現れている。その様子を後ろから撮ります。ほとんどサブリミナル映像ですね、誰なんだこの人?さらにさらにターのWikipediaを編集している謎の人物の主観ショットが挟み込まれます。だから誰?序盤の見せ場、「魂がSNSで形作られている」今年これを超える名セリフはないでしょう。ケイト・ブランシェットのモンスター演技を堪能するターが音楽学院で講義をしている時、後ろで何者かがスマホをターに向けています。誰?これもう心霊映像の類ですよ。冒頭からターを見ている、何者かの映像をしつこく、細かく見せられる、怖いですね。

観客の脳裏に焼き付けられる謎の赤い髪の正体は、ターの元付き人、おそらくターが大学院に所属していた時、恋人関係だったのでしょうクリスタという人物だと明かされ、中盤、このクリスタが自死してしまったと、そこからターの精神崩壊は加速していきます。実は冒頭から妻の精神安定剤を盗んでいたり、鏡を使って二重に写っているターの映像はターの精神/アイデンティティの分裂とターを暗示したり、ターの精神、ちょっと不安定なのかな?と予感はさせられますが、元付き人の死から崩壊がドンドンと加速すします。

極め付け、深夜、ターの自宅で勝手に動くメトロノーム。今まで“人間メトロノーム”として自分で “Time” を動かしていたターは、この勝手に動いたメトロノーム、クリスタが幽霊になって動かしているとしか思えないメトロノーム、いずれにせよ自分以外の他人が動かしたテンポ、 “Time”に支配されていく事になります。

ターのキャリアを失墜させる要素の一つが、あの時、講義でカメラを撮影していたクリスタらしき人物の動画、まさしく“時間” “Time”を捏造編集した動画だというのも皮肉なもので、徹底的に心霊と化したクリスタに “Time” 時間をコントロールされる、クリスタを影の主役とすれば『TAR』は復讐劇とも捉えることができます。途中、ターの見る悪夢、何個か印象的で気持ちの悪い映像が繰り返されますが、引用されるのは最近、ホラー映画に引っ張りだこのベルイマンの『仮面/ペルソナ』です。『仮面/ペルソナ』はアイデンティティについての映画という側面がありますが、『仮面/ペルソナ』よろしくターがクリスタにアイデンティティを食われていきます。

中盤以降は観ていて、ターと同じく観客まで精神がすり減ってくる、異常なまでの反復を繰り返します。特に夜のシーンはしつこく気持ち悪いし、怖かったですね。深夜、雑音でベッドで目を覚すター、リビング、キッチンに行く、冷蔵庫の音。メトロノームの音。このターは流石、音楽家で耳が良いのでしょう、小さな雑音でさえスリラー描写に繋がる、この辺りの聞こえるか聞こえないか、映画館の空調の音と言われても驚かないレベルの小さな雑音使いも本当に緻密。もうこれは先ほど言ったほとんど黒沢清のホラーというか、『回路』、『CURE』の洗濯機の音の使い方を思い出しました。

こういった小さな雑音・生活音から、ジョギング中に聞こえた謎の悲鳴、先ほど言ったようにこの付近からシーンがぶつ切りになる気持ちの悪い編集をしているので、結局、叫び声は幻聴なのか何か分からない観客を宙吊りにしたまま映画を進行させます。この主人公の安定しない主観描写もホラー要素となります、もし僕がTSUTAYAのDVD棚に本作を入れてと頼まれたら、ホラーの棚か、もしくは『回転』とか『反撥』といった精神不安定な主人公の主観スリラーと『TAR』を並べてしまうと思います。ホラーとしても優れている映画だと思います。

「時間切れ」のターと「権力」という地獄のシステム

「時間切れ」をするターと権力という地獄のシステム。『TAR』はターの精神崩壊と合わせて、彼女の権力、キャリアの転落も描きます。ターは自死したクリスタの遺族に告発される、ターは教え子に性的関係を強要していたのではないかと。本作について多くの方が現代社会を写した「芸術とキャンセルカルチャー」についての映画だとご指摘されています。『TAR』の非常に巧妙な所は、何度も言っている通り、終盤になるに従って、異常なまでに “Time” 時間軸が飛ぶので、この告発が真実だったのか、その結果はスキップされる、あくまで『TAR』という映画は問題提起しかしないので、この辺り観る人の価値観とか政治的ポジションによって解釈は分かれるかと思います。

個人的にこの「キャンセルカルチャー」という言葉は慎重に使いたい、というのも本作のターはキャンセルされるべくしてキャンセルされているように見えました。ターは “KRISTA” を “AT RISK” 「危険だ」と文字の入れ替え、アナグラムをしますが、TARは “ART” 芸術の象徴、優れた“ART” ISTである一方、“RAT” 卑劣・非道な奴といった具合でしょうか。 確かにターは天才アーティストなのかもしれないけど、中々、共感するのは難しい、他の映画では悪役として登場してもおかしくない人物。特にオーケストラの若いチェロ奏者に明かに下心で近づき、彼女を良いポジションにするために画策するターの様子は極めて醜いです。

劇中のリハーサルシーンでター自ら「ヴィスコンティ」の名前を挙げますが、マーラーのアダージェットがテーマ曲として有名なルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』も美少年に恋をした高齢の男性が精神、肉体共に破滅していく映画……チェロ奏者に下心を見せるターとベニスに死す』を重ねた方も多いかと思います。若い女性を追いかけて、追いかけて、言葉通り、その長く伸びた鼻を折る、鼻に重症を負うターの醜さ。特にチェロ奏者とランチするときのター、ケイト・ブランシェットのスケベ演技は物凄く気持ち悪かったですね。

いずれにせよ公私混同甚だしい道徳的には問題のある人物として描かれるター。序盤で連呼された “Time”は作品に通底する一つのキーワードですが、ターのこの醜態を見て僕は “Time’s Up” 「タイムズアップ」運動というのを想起しました。 “Time’s Up”は「もうセクハラ、パワハラ、権力の濫用が横行していた時代は終わった、Time’s Up=時間切れ」という “MeToo”から派生した運動ですが、“Time”、“Time”、“Time”から “Time’s Up”とそんな事も連想する “RAT” であるター。一方、ターに尊敬する素振りを見せながら自伝本の朗読会でターを馬鹿にするチェロ奏者の描写。さらにター本人もまた現在のパートナーと、実はオーケストラに客員指揮者として入った当時、オーケストラでのし上がるためにターが性的な関係を作っていたと分かると、もう本作は単なる “Time’s Up”運動についての映画だと言い切れない複雑さを見せます。

ターもかつてコンサートマスターであった現在のパートナーを利用してのしあがったように、チェロ奏者もターの下心を利用してのし上がる。結局勝つのは資本家。最後に勝つ、最後にターのポジションに立つのはビジネスマンとして成功している資本家兼指揮者、マーク・ストロング演じる金持ちの音楽家と、この権力というシステムの残酷さ、醜さをも浮き彫りにする重層的な、多くの要素が絡み合った映画でした。

分裂したターが一つに戻る「行きて帰し物語」

『TAR』は権力崩壊の物語のその先を見せます。全てが終わった後、ターがたどり着いた先の景色、このラストはどこか作り手の優しさがあり、今まで不協和音的な編集で観客を不気味で気持ちの悪い思いをさせてきた『TAR』は、少しばかりの感動のお土産と芸術ARTの力を讃えて終わります。偶然にもトッド・フィールドが出演した『アイズ ワイド シャット』は、倦怠期夫婦の夫が、夢が現実か分からない体験を経て、元の場所、奥さんに戻る、結婚地獄を経る「行きて帰りし物語」でしたが、本作もターが中盤以降、現実か夢か分からない体験を経て、元いた場所に戻る「行きて帰りし物語」です。

原点回帰。実家に「帰る」ター。兄から「リンダ」と呼ばれるター。リディアは通名だったのかと。一番驚いたのはレナード・バーンスタインに師事したという過去が嘘だったという事ではないでしょうか。いや正確には彼女にとっては嘘ではないのかもしれない。リンダはレナード・バーンスタインの番組が録画されたビデオカセットを先生としていたと。冒頭から何度も何度もターは鏡に映され、観客はスクリーン上に二重に存在するターを何度も目撃しますが、この映像はリンダとリディア、アイデンティティが分裂しているターを映像的に語っているものだったのかもしれません。ドンドンと嘘で塗り固めてきた嘘の仮面が取っ払われるターの原点回帰。

エンドクレジット開幕について

最初に言った『TAR』の驚く仕掛けについても言及しておきましょう。ご覧になった方は驚いたと思います。この『TAR』エンドクレジットから始まるんですね。長くて驚きましたが、ターがフィールドワーク、研究をしていた部族の歌をバックに長ーいエンドクレジットを見せられる驚きのOPですが、なぜエンドクレジットが先にあるのか?トッド・フィールド監督は「L.A.times」でインタビューに答えていて、2つ意味があると。

1つはまさかのNetflixへのカウンターパンチだと。ご存知、Netflixでは本編が終わるとエンドクレジットがスキップできるような仕様になっていますが、それに対して反抗したかったから最初にエンドクレジットを出したと。2つ目は出演者、演奏者、音楽家へのリスペクト。『TAR』は本編後にもエンドクレジットが出るので厳密には2回、エンドクレジットがある映画という事になりますが、その2回目、本編後にあるエンドクレジットは言わば本作のカーテンコールだから、最も作品に寄与した出演者、オーケストラの演奏者、『ジョーカー』に続き音楽を担当したヒドゥル・グドナドッティル率いる音楽制作チーム、これだけを最後に大きく出すために、最初にそれ以外のエンドクレジットを出したとおっしゃっています。

なるほど…という感じですが個人的に監督の意図以上の効果を感じていて。1つは本作が終わりから始まりに向う映画だから、権力の頂点に立ったターがもう一度、音楽家としての始まりの地点に立ち返る映画だからエンドクレジットから始まって当然だろうという物語的なマッチもあります。もう一つ、これは所見時の僕の感覚ですが、映画の最初、スクリーンは文字だけで、音楽をじっくり聴かされる体験は、スクリーンに、映画に吸い込まれるような感覚がして、ミュージカル大作の本編前に流れる序曲の役割のような、まさしく音楽がテーマの一つの作品として、監督の意思以上の効果を与えているような印象があります。

あと、本作の『TAR』はネット上で脚本が読め、読みましたが、この「冒頭エンドクレジット」は何と脚本段階からあるんですね。しかもトッド・フィールドは、面白いことにこう書いている。「黒いスクリーンを埋め尽くすクレジットは、まるでステージに座る演奏者のようだ」と。脚本執筆当初はクレジットを、コンサートにおける演奏者に重ねていたというのも面白いなと思いました。ステージに並ぶ演奏者と指揮者の関係性に「権力」のシステムを象徴させた『TAR』の「指揮者と演奏者」のイメージは作品に通底していますね。

監督が脚本に書いたようにオープニングクレジットから、途中、何度も繰り返されるリハーサルシーン、そしてターが行き着いたベトナムの風俗店。酷い時差ぼけに苦しむ、すでに自らの “Time” を失ったターがマッサージ店を紹介してと頼んだら、風俗店を紹介され、そこで沢山の女性がまるでコンサート会場の演奏者のように並んでいると、風俗店と指揮者の権力を私情に利用していたターとを重ねる非常に皮肉な描写を見せますが、若いチェロ奏者と同じ位置にいる5番の女性と目が合い吐き気を催す、きっとターはここで自らの過ちに気付いたのかもしれません。

神の元に帰ったターの再出発

正直、共感はできない、安易に共感してはいけないのかもしれないターという人物を主人公とした、この転落の物語、途中ホラー映画、強烈なスリラーを経由しながら、最後はどこか優しくターを送り出すのは印象的でした。ターの「行きて帰りし物語」が到着するのは、日本の観客にとっては驚きですね。初見時、試写で声出しそうになりましたが『モンスターハンター』の「狩猟音楽祭オーケストラコンサート」という……個人的には ♪英雄の証をエンドクレジットで流してくれたら爆アガりだったと思いますが、無いものねだり。権力のモンスターだった彼女が「モンスター」を討伐・狩猟するゲームのコンサートの指揮者をする。観客は誰が指揮しているかなんて気にしていない。指揮者を隠すように上から降りてきたスクリーンに映るゲームの映像しか見ていない、少し意地悪なラスト。

これを意地悪なバッドエンドとして解釈した方もいらっしゃるかもしれません。僕はどこかハッピーエンドの喉越しも感じました。会場で流れているナレーションは「新しい旅に出るハンターたちを鼓舞する」内容。確かにターは自分の“Time”をまだ取り戻せていない、ヘッドフォンの指示にしてがって指揮棒を振っている、しかし地獄のようなオーケストラという権力システムを脱却したターの新たな門出を讃えているようにも見える。

ターにとっては師匠であったレナード・バーンスタインの教えは、冒頭のトークショーでター自信が語っていた「テシュヴァ(teshuvah)」罪を償い神の元へ帰る。罪を悔い改め、ようやく「音楽」ARTという神の元に帰れたターTARの再出発。「音楽の価値は、言葉にない無限大の感情を与えてくれることだ」と語るレナード・バーンスタインを見て、涙を流すターの様子は胸に迫るものがありましたが、このレナード・バーンスタインの言葉は『TAR』という奇妙で完璧な映画の事を言っているように聞こえました。

この権力モンスターの転落劇と思いきや、ホラーでもあり、最後にはそのモンスターの牙を抜いて優しく見送ってくれると、細かい描写を見落としても「とにかく凄い」と観客に無限大の感情を与えることに本作は成功していると思います。非常に素晴らしい作品『TAR』でした。

【作品情報】
『aftersun/アフターサン』
2023年5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ
© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

『TAR/ター』
2023年5月12日(金)より東京・TOHOシネマズ 日比谷ほか全国でロードショー
© 2022 FOCUS FEATURES LLC.


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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