北村誠吾衆院議員死去 「地道に一歩ずつ」体現 長崎県内政界から惜しむ声

地方創生担当相に就任し本紙のインタビューに答える北村さん=2019年9月14日、佐世保市内

 20日に76歳で死去した自民党衆院議員で元地方創生担当相の北村誠吾さん=長崎4区=は、長崎県内の政治課題の解決に向けて、国とのつなぎ役に徹した政治家の一人だった。信条にした「地道に一歩ずつ」の言葉通り、衆院議員秘書から市議、県議、国会議員、大臣と階段を1段ずつ上った政治家人生。8期目半ばの訃報に長崎県内政界から惜しむ声が相次いだ。
 「庶民的で頼りになる兄貴分だった」。北村さんの故郷、北松小値賀町の宮﨑良保町議会議長は突然の訃報に肩を落とした。中学校時代からの付き合い。気さくで、いったん口を開くと小値賀弁で歯に衣(きぬ)着せぬ物言いが頼もしかった。「『小値賀のために頑張れ』と町議に出る背中を押してくれた人。いい先輩だった」
 北村さんが政治家を志したのは、幼少期、島に電気や水道などのインフラが整備され「政治が暮らしを向上させている」と実感したのが大きな理由。長崎県内で同じカトリックの議員として支え合ってきた長崎市議会の深堀義昭前議長は「住民の声を細かく聞き、願いを的確に反映させる努力を惜しまなかった人。弱者に手を差し伸べるカトリックの精神と、島での実体験を基に“どぶ板議員”を地でいく政治家だった」と振り返る。
 衆院議員在任中は防衛分野や、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の佐世保市誘致などに尽力。中村法道前知事は「本県の地域活性化に向けて力を尽くしてもらい、たくさん励まされた。残念でならない」。選挙で協力関係にあった朝長則男前佐世保市長は「常に連携を取り、まさに盟友。頼りになる人だった」と惜しんだ。
 2019年から約1年務めた地方創生担当相時代は、国会での不安定答弁などがたびたび野党の標的となり審議が紛糾。石木ダム問題などを巡る“失言”も物議を醸したが、昨年からは太平洋戦争中の空襲による民間人被害者へ補償するため議員立法を目指す超党派の「空襲議連」の会長に就任。今国会での法案成立に熱意を示していた。
 北村さんは20日午後8時10分ごろ、東京都内の病院で死去。関係者によると、21年10月の衆院選後に体調を崩すことが増え、通常国会は欠席が続いていた。都内の病院で療養やリハビリに努めていたという。入院先で容体が急変した際は、家族や関係者が見守る中「眠るように安らかに旅立った」という。

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