江戸初期の聖香油入れか 長崎・樫山 「かくれキリシタン」伝承のつぼ

長崎県は16日、長崎市樫山町の「かくれキリシタン」が伝承していたつぼが、江戸時代初めごろに用いられた「聖香油」入れだった可能性があると発表。底にはスペイン語やポルトガル語で「香油」を示す単語「Escencia」が記されている(県提供)

 長崎県は16日、長崎市樫山町の「かくれキリシタン」が伝承していた古いつぼが、江戸時代の初めごろに用いられていたキリスト教の「聖香油入れ」とみられる、と発表した。
 つぼは高さ25センチ、底の直径約15センチ。禁教期の「潜伏キリシタン」の信仰形態を引き継いでいた樫山町のかくれキリシタンが「ヨカシ様」「ヨカヒト様」と呼び、昔から秘蔵していた。樫山のかくれキリシタンを調査していた長崎の医師、故正木慶文氏が1964年に企業の社内報で紹介していた。
 県は2019年度から続けている潜伏キリシタン信仰用具の調査で、昨年6月につぼが現存していることを確認。調査の結果、つぼは中国南部で製造され、16世紀末から17世紀初めに船で日本に運ばれてきた「華南三彩壺(つぼ)」と判明した。
 つぼの底には墨で「Escencia」と記されており、東京大史料編纂所の岡美穂子准教授に解読を依頼。スペイン語やポルトガル語で「香油」を意味する単語だと分かった。聖香油はキリスト教の洗礼や叙階などの儀式で使われる油。司教だけが聖なる油として普通の油と区別することができる。
 県はつぼの由来について、1598年に来日して長崎を拠点に布教した日本司教セルケイラが用いた可能性があり、1614年に江戸幕府がキリスト教の信仰を禁じて以降、潜伏キリシタン信仰の中心地だった樫山に持ち込まれ、信徒の信仰対象になったと推定している。
 華南三彩壺は全国に数十点現存するという。県教委学芸文化課の川口洋平課長補佐は「華南三彩壺がキリスト教の信仰用具として使われていた可能性が分かった。新たな事実だ」と話している。
 つぼは21日午後から3日間、長崎市役所2階の市民利用会議室で展示。21日午後2時から、川口氏と岡准教授による調査報告会がある。当日受け付けで定員100人。無料。

長崎市樫山町のかくれキリシタン伝承のつぼについて調査結果を発表する県職員ら=県庁

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