日本海中部地震、26日で40年 青森県内17人、全国で104人犠牲

日本海中部地震翌年の1984年に十三湖水戸口に建てられた「津波之塔」。25日は犠牲者を悼み、酒が供えられていた=五所川原市

 日本海中部地震から26日で40年となった。青森県内ではむつ、深浦で最大震度5を観測。青森県や秋田県の沿岸を津波が襲い、青森県の17人を含む104人が全国で犠牲となった。日本海側での津波の脅威を見せつけた同地震の教訓を忘れないため、当時被災した五所川原市と深浦町では同日、津波を想定した避難訓練や犠牲者への黙とうを行う。

 地震は1983年5月26日午前11時59分に発生。震源は秋田県能代西方沖で、地震の規模はマグニチュード(M)7.7だった。津波は午後0時7分に深浦で第1波を確認したのをはじめ、北海道から九州までの広範囲で観測。最大は秋田県八竜町(現三種町)の6.6メートルだった。

 死者104人のうち100人が津波の犠牲者で、このうち79人が秋田県内。男鹿市の海岸では旧合川南小学校の児童13人が遠足の途中に波にのまれて亡くなり、能代市では火力発電所の護岸工事の作業員ら36人が死亡した。青森県での犠牲者は、市浦村(現五所川原市)6人、小泊村(現中泊町)5人、鯵ケ沢町3人、深浦町2人、岩崎村(現深浦町)1人。釣りや漁港の修築工事、海藻採取などのさなかに津波に襲われた。

 県内の建物関係の被害も大きく、「日本海中部地震災害の記録」(1984年、県発行)によると、住家だけでも全壊447棟、半壊865棟、一部破損3018棟など。漁船の被災は853隻に上ったほか、地震動による水稲の「浮き苗」、水田の陥没・隆起など、農業関係も甚大な影響を受けた。

 26日は五所川原市市浦地区で、地元の児童・生徒が参加する避難訓練などを実施。地震発生時間に合わせて犠牲者への黙とうを行う。

 深浦町では地域住民や児童・生徒が参加する防災訓練を予定。大津波警報発令を想定し、高台への避難や炊き出しなどを行う。

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