社説:事件記録廃棄 国民財産損ねた無責任

 事件記録は公文書であり、国民共有の財産である。失われたものは戻らない。

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件など重大な少年事件の記録が廃棄されていた問題で、最高裁は調査報告書を公表した。

 保存を抑制する最高裁の不適切な対応が原因とし、「国民の皆さまにおわびする」と謝罪した。

 最高裁は64年の内規で、少年事件の記録は26歳に達するまで保存し、史料的価値が高い記録は事実上の永久保存に当たる「特別保存」にするよう定めた。

 だが92年ごろ、記録の膨大化防止に取り組むべきとのメッセージを発して特別保存への消極的な姿勢を強め、「保存期間満了後は原則廃棄」の考え方が組織内で定着したという。

 問題が発覚した連続児童殺傷事件は、殺害容疑で当時14歳の少年が逮捕され、少年審判を経て医療少年院に収容された。

 日本の少年事件史上、最も衝撃的な事案の一つであり、少年法改正のきっかけとなった。神戸家裁が全ての記録を廃棄したと分かり、多くの国民は耳を疑った。

 同様の廃棄は全国で相次ぎ判明し、2012年に児童ら10人が死傷した亀岡市の集団登校事故でも、保護処分を受けた少年らの記録を京都家裁が廃棄していた。

 特別保存は地裁や家裁の所長が判断するが、廃棄は首席書記官の指示で行われていた。神戸家裁では所長の判断を経ずに廃棄されたといい、こうした現場任せの構図も報告書は指摘している。

 内容も確認せず、機械的な廃棄が常態化していたようだ。

 非公開の少年審判で記録まで廃棄されれば、後世になって過程を検証し、学術的な利用を含めて教訓を生かすことが困難になる。

 亀岡事故の遺族が「被害者感情を踏みにじられたようで、司法の身勝手さにあきれる」と非難したのは当然である。

 背景には記録の保管場所の確保や、情報流出への懸念があったようだ。だからといって廃棄は乱暴すぎる。国民主権をなおざりにした司法の閉鎖性を感じる。

 最高裁は特別保存に関する判断に国民の意見や専門家の知見を取り込むため、常設の第三者委員会を設置するという。

 他にもずさんな業務はないか、疑問は尽きない。安倍晋三政権での公文書改ざんをはじめ、記録軽視は民主社会の根本を損なうと改めて政府でも共有すべきだ。

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