「地方を軽く見ていやしないか」重鎮・金田一春彦に「無型アクセント」の起源で挑んだ“方言学者”

言語学者の金田一春彦(1913~2004)をはじめとした国語学界の主流の考え方では、茨城弁や栃木弁、さらに宮崎弁のような「無型アクセント」は、各地方でアクセントが単純な方向へ変化し、最終的になくなった「なれの果て」だとされている。

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一方、旧静岡県新居町(現湖西市)で燃料店を営みながら、方言研究を続けた山口幸洋(1936~2014)は、これに真っ向から対立する仮説を立てた。日本語の最も古い形として「無型アクセント」は元々日本で広く話されていた。

そこに大陸からアクセントのある言葉が持ち込まれ、影響を受けて、日本語は次第にアクセントを持つようになる。しかし、それが波及せず、現在まで残っているのが「無型アクセント」地域なのだ、と。

燃料店を営みながら研究を続けてきた故山口幸洋氏

だが、この山口の仮説には、大きなネックがあると奈良大学の岸江信介教授は指摘する。「言葉は複雑なものから単純なものに変わっていくのが、世界的に見てもセオリー。その点で山口説は、単純なところから複雑な体系への変化を想定しなければならない」。

一方、金田一説は「複雑なアクセント体系が単純なものに変化していく想定で川上から川下に流れるように自然(岸江教授)」だという。

岸江教授にとって、山口は「出会わなかったらこの道(方言研究)をやっていない。先生のような存在」だ。「山口さんは方言研究界の中でも恐れられた人。金田一さんは誰にも批判されなかったが、山口幸洋という人だけが学説を批判していた(岸江教授)」と振り返る。

偉大な功績から絶対的な存在だった金田一にも臆せず挑んでいた山口の姿勢は、旧新居町という「地方」に住み続け、研究したことに根差しているようだ。

金田一は、平安時代末期の文献研究からその時代の平安京のアクセントと現代の京都のアクセントがほとんど違わないことを自ら解き明かしている。つまり、京都のアクセントは、少なくとも千年近く大きくは変わっていないということだ。なのに、「無型アクセント」へ至る想定では、地方でアクセントはどんどん変わることになっている。

ここに、山口は強い抵抗を示した。都会に住む者はしっかりアクセントを守り、地方では、言葉に対する規範意識が低いので、どんどんアクセントが単純化すると見立てる金田一説は地方を軽く見ていやしないか、と。岸江教授は、その視座こそが「山口流の本質」だと語る。

いまから20年あまり前に、山口が「無型アクセント」が日本語の祖型ではないか、という著書を出し、学術誌上で論争も起きた。岸江教授は、現代のアクセント分布の成立過程に、独自の推論を加えながらも「無型アクセントは古いと思う」と“山口説”の起点を支持する。

しかし、現状、学界全体としては「山口説を支持する研究者も結構いるが、定説にはなっていない(岸江教授)」。日本各地のアクセントがどのように成立したかについて、確定的な全貌は、いまもつかめていないのだ。(文中敬称略)

(SBSアナウンサー 野路毅彦)

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