亡くなった船頭が木箱を渡してくれ、長女は助かった 京都・保津川下り転覆2カ月「手動救命具は無理」

3月28日に乗船場の土手で撮影した写真を手にする女性。大勢の客でにぎわっていたという(5月12日、大阪府内)=画像の一部を修正しています

 京都府亀岡市の桂川(保津川)で3月末、「保津川下り」の船が転覆し船頭2人が亡くなった事故で、乗客の女性(54)=大阪府=が、当時の状況や船頭たちへの思いを京都新聞社の取材で語った。川に投げ出された時には「まるで洗濯機でぐるぐる回されているような状況」で、手動で膨らむ救命具は「急流で使うのは絶対に無理」と指摘。一方、川下りについては「なくなってほしくない」と願う。28日で事故から2カ月。

 女性は中学2年の長女(14)と1泊2日の京都旅行中で「以前に乗った時、景色が素晴らしかった。娘にも一度は体験してほしい」と亀岡市内の乗船場を再び訪れた。土手では例年より早く開花した桜が咲き乱れ、すっきりと晴れたぽかぽか陽気。「娘と『一番良い日に乗れたね』と喜んでいた」という。

 午前10時40分ごろ、乗客25人と船頭4人を乗せた船が出発し、女性と長女は前から2列目に座った。20分後、約5キロ下流の「大高瀬」と呼ばれる場所に近づくと、櫂(かい)をこいでいた関雅有さん=当時(40)=ともう一人の船頭が何かを叫び、関さんが船べりを伝って後方に走りだした。

 船尾でかじ取りを務めていた船頭が誤って川に落ちていたが、女性は「転落には全く気付かなかった。後方に行ったのは乗客を怖がらせるためのパフォーマンスだと思った」と振り返る。その直後、船は岩に激突し、左から傾いて転覆。何が起きたのか分からないまま、女性は川に投げ出された。

 女性はその瞬間を偶然、スマートフォンで動画を撮影していた。櫂を担当していた2人が焦った表情で「あかんあかん」「後ろに行け」と叫んでいた。船首にいた船頭の田中三郎さん=当時(51)=が、竹竿を岩に差して何とか船を押し戻そうとする様子も映っていた。

 川は前々日まで降っていた雨の影響もあり、波は高く流れも速かった。どっちを向いているのかも分からない状況でどんどん下流に流され、「もう駄目かな」と死が頭の中をよぎった。

 乗客は腰に巻くタイプの救命具を着用していた。女性が着けていたのはひもを引くと膨らむ手動式で、水中でひもを探したが、波が高い上に流れも速く膨らませることはできなかった。「急流ではひもを見つけることも、引っ張ることも絶対に無理」と女性は強調する。

 流されている間、女性の脳裏に思い浮かんだのは娘の安否だった。息継ぎで水面から顔を出すたびに、娘の名を叫んだ。「こんなところで死なせるわけにはいかない」と必死だった。

 救命具を膨らますことができなかった長女は水中でもがいていると、船頭が近づいてきてひもを探してくれた。流れてきた木箱につかまろうとしたが、波に邪魔されてつかみ損ねると、その船頭が木箱をつかまえて渡してくれた。長女は岩場までたどり着くことができ、乗客らに救助された。

 この船頭について、女性は「撮影していた動画と報道を見て、関さんだったと分かった」と話す。女性も後続船の船頭に引き上げられて助かったが、関さんと田中さんは川に沈んだ状態で見つかり、亡くなった。

 女性と長女は入院し、翌日に帰宅した。1週間ほどは吐き気と頭痛、不眠がひどく体調を崩した。現在も時折、当時を思い出して気分が悪くなることがある。

 事故以降、川下りの運休が続く。女性は救命具の見直しなど安全対策は必要とした上で「娘を連れて来たいと思うくらい素晴らしい体験ができる。船頭さんたちが受け継いできた技術はすごいし、事故当日も乗客を楽しませようと一生懸命盛り上げてくれた。なくなってほしくないし、なくなってはいけない」と話した。

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