21日に94歳で死去した被爆者の深堀好敏さん。約40年前から市民レベルで長崎原爆の写真を収集・検証する活動を続けてきた。部会長を務めた長崎平和推進協会写真資料調査部会の活動が29日、長崎市内であり、“教え子”らは「人間味のある温かい人だった」としのび、「原爆被害を記録する屋台骨を支えた」と功績をたたえた。
「写真の検証作業は死者たちとの対面であり、助けを求めた人たちを助けられなかったしょく罪であり、祈りながらの作業である」
深堀さんが残した手書きのメモ。部会長の松田斉さん(67)は根底に「(原爆で命を落とした)2歳上の姉も含め、償いの気持ちと使命感があった」とした。被爆者なき時代が近づきつつある中「写真の重みは増す。遺志を受け継ぎ、被爆者の思いに寄り添いながら活動していく」と誓った。
1979年に部会の前身となる市民グループを発足。2002年から18年まで部会長を務め、収集・検証した原爆写真は4千枚を超える。20年以上活動を共にした被爆者の丸田和男さん(91)は「客観的に原爆と戦争の残酷さを伝えることにこだわった。歩みを引き継ぎ、次の世代にバトンタッチした功績は大きい」と悼んだ。
部会員の草野優介さん(35)は、大学時代にゼミの研究で深堀さんから話を聞いた縁で14年に入会。「『若い人に(部会に)入ってほしい』との思いを持っていた。温かく見守ってくださり、身近で学ばせてもらった」と感謝の思いを口にする。
深堀さんは長年、聖フランシスコ病院(長崎市)に事務職で勤め、長崎の反核・平和運動をけん引した被爆医師、故秋月辰一郎さんと活動を共にした。前院長の大曲武征さん(80)は「(表に出る)秋月先生の陰で支えていただいた」と振り返った。