【連載コラム】第14回:1969年に導入された地区制 ブレーブスとレッズが「西地区」に配属された理由とは

今季のMLBは全球団と対戦するスケジュールが導入されたことにより、地区間のレベル差が顕著に表れる状況となっています。地区制に関しては「中部地区のレベルが低い」ということが近年さかんに言われるようになっていますが、まずは地区制の変遷を簡単に振り返ってみましょう。

1901年に各8球団の2リーグ制となったMLBは1960年代に球団拡張の時代を迎えます。1961年にアメリカン・リーグが2球団増の10球団となり、翌1962年にはナショナル・リーグも8球団から10球団に拡張されました。そして1969年に各リーグ2球団ずつ増やして12球団となったところで東西2地区制が導入されます。その後、ア・リーグは1977年にさらに2球団増やして14球団となり、ナ・リーグも1993年にようやく14球団に拡張され、1994年から現行の3地区制がスタートしました。1998年にデビルレイズ(現レイズ)とダイヤモンドバックスが加盟して30球団となった際にブリュワーズがリーグを移籍してア・リーグ14球団、ナ・リーグ16球団の体制となり、2013年に今度はアストロズがリーグを移籍して両リーグとも15球団となって現在に至ります。

地区制の変遷を振り返ってみると、各リーグの地区分けは概ね各球団の本拠地の位置関係に従って決められていますが、大きな違和感があるのが1969年にナ・リーグが東西2地区制を導入したときの地区分けです。当時の12球団が以下のように振り分けられました。

【東地区】 メッツ、エクスポズ、フィリーズ、パイレーツ、カージナルス、カブス

【西地区】 ドジャース、アストロズ、パドレス、ジャイアンツ、ブレーブス、レッズ

各球団の本拠地のタイムゾーンを見てみると、ドジャース、パドレス、ジャイアンツの3球団が太平洋時間、カージナルス、カブス、アストロズの3球団が中部時間、残りの6球団が東部時間となるため、東部時間の6球団をそのまま東地区に振り分けるのが無難なように思われます。しかし、実際はその通りにはなりませんでした。これはメッツが「カージナルス、ドジャース、ジャイアンツのいずれとも同地区にならない振り分けは受け入れられない」とクレームをつけたためだと言われています。カージナルスは当時の強豪かつ人気球団で集客力があり、ドジャースとジャイアンツは1950年代後半までニューヨークに本拠地を置いていたため、メッツにとって「ライバル」という位置づけの球団でした。カージナルス、ドジャース、ジャイアンツがいずれも別の地区になってしまうことで観客動員が減少してしまうことをメッツが危惧したのは理解できます。

西海岸に本拠地を置くドジャースとジャイアンツを東地区に入れるのは無理があるため、消去法でカージナルスを東地区に入れざるを得なくなったのだと思われます。ところが、カージナルスとカブスは伝統的なライバル関係を持つ球団であり、両球団とも同じ地区に入ることを望んでいました。よって、カージナルスだけでなくカブスも東地区に入れる必要が生じ、タイムゾーンが東部時間の6球団のなかからブレーブスとレッズが西地区に振り分けられるという結果になりました。

西地区に配属されたレッズは「ビッグ・レッド・マシン」と呼ばれた強力打線を武器に、1970年代にワールドシリーズ連覇などの黄金期を迎えますが、1969年に東西2地区制が導入された際の地区分けが違う形になっていれば、MLBの歴史は変わっていたのかもしれません。

【注】 東西2地区制の時代と現行の3地区制の時代を区別するために、前者は「東地区・西地区」、後者は「東部地区・中部地区・西部地区」の表記を使用しています。

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