97人犠牲になった旧海軍特務艦の遭難事件を題材、無声映画の一部発見…巨匠内田吐夢が監督、撮影は“特撮の神様”円谷英二 越前海岸沖が舞台

特務艦関東の遭難を題材にした映画の一場面。座礁した艦を望む岩場でたきび火をする様子を描いている(神戸映画資料館提供)

  1924(大正13)年に福井県の旧河野村(現南越前町)の越前海岸沖で起きた旧海軍特務艦「関東」の遭難を題材に、当時制作された無声映画「特務艦関東の遭難と小川水兵」の一部が、神戸映画資料館(神戸市長田区)で見つかった。100人近くが犠牲になった大惨事だったが、映像資料はほとんど現存していない。

 日本映画界の巨匠内田吐夢の初期の監督作品とみられ、後に「特撮の神様」と称された円谷英二が撮影を担当していた。遭難から来年で100年。住民が兵士の救護に当たった状況がうかがえる上、日本映画史にとっても貴重な発見という。

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 無声映画の一部は約4分。遭難時、地元住民が徹夜で陸の目印となるたき火をして岸に泳ぎ着いた兵士を温めたり、艦内に取り残された兵士を陸から励ましたりしたと伝わり、その情景が描かれている。

 映画史研究家の佐崎順昭(よりあき)さん(61)=川崎市=と同資料館の安井喜雄館長(74)=神戸市=の調査で、国際活映(国活)が遭難事件の翌25年に制作した「特務艦関東の遭難と小川水兵」の一部と特定された。これまで題名、内容不明として公開されていた。

 暗闇の中、座礁した関東を望む岩の上で、たき火をしながら数人が動き回る映像が流れ、「かくて村民は徹宵 救助に努めたのでした 其男々(そのおお)しい赤誠と愛の力は 五十有余の精霊を 凍死から救ったのでした」と字幕が出る。さらに「夜は明けた」との字幕に続き、衰弱していた男性が回復し民家でくつろぐシーンが流れ「回生の喜び 感涙に咽(むせ)びつつ」との字幕を挟みフィルムは途切れている。実際は30分ほどの作品だったとみられる。

 たき火の撮影場所は、岩の形状などから南越前町糠の「特務艦関東遭難之地」の石碑付近とみられる。現在は国道305号が通じているが、当時は近づくのは困難な場所だった。座礁した艦も映っているが、大しけだったはずの海は穏やかで、再現シーンとして後日撮影した可能性が大きい。

 関東の遭難を扱った映画には若山治監督らによる日活の「噫特務艦関東」(25年)もあるが、出演者の記録などから同年公開の国活の作品と特定した。

 題名にある小川水兵は、小川佐之助という実在の三等水兵。旧河野村甲楽城に休暇で帰省中、遭難を知り現場に駆けつけ、海中に飛び込むなど命がけの救護や遺体の収容作業に当たり、旧海軍から特別善行賞を授与された。

 監督の内田吐夢は「飢餓海峡」などで知られ、「特務艦関東の~」は俳優から監督になって間もない時期に手がけた。撮影を担当した円谷英二は当時20代で、実際に本人が現地を訪れたかは不明。国活は25年に倒産し、佐崎さんは「この頃の2人の作品はほとんど残っておらず、日本の映画史を研究する上でも貴重」と評価する。

 神戸映画資料館はインターネットで古い作品の公開を進めており、安井館長は「今後も情報提供を得て、埋もれた映画の発見に努めたい」と話している。今回の映像は、動画投稿サイトユーチューブで「題名不明(村の記録)」と検索すると見ることができる。

 特務艦関東の遭難 1924年、山口県から京都府舞鶴港に向かっていた旧海軍特務艦関東が暴風雪で進路を誤り、12月12日に福井県南越前町(旧河野村)糠の沖合百数十メートルで岩礁に激突し座礁。乗組員ら207人のうち97人が死亡した。一方、村の女性たちは漂着した多くの兵士を肌身で温めて救い、「人肌救助」として有名になった。糠に特務艦関東遭難慰霊碑公園がある。南越前町では今年9月に追悼百年事業を計画している。

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