出馬見送りから7年、温めた夢結実 新青森市長・西氏「よりよい街に」

当選確実の報を受け、事務所に到着し支持者に迎えられる西さん(左)=4日午後8時9分
敗戦の弁を述べながら悔しそうな表情を見せる野崎さん=4日午後9時22分
スタッフに感謝を述べ握手する関さん=4日午後9時2分
敗戦の弁を述べた後、支援者を握手でねぎらう大竹さん=4日午後9時半

 4人の争いになった青森市長選は、西秀記さん(59)が、野崎小三郎さん(44)、関良さん(65)、大竹進さん(72)を振り切り、新市長の座を射止めた。西さんは激しい選挙戦を支えたスタッフや支持者らと喜びを分かち合い、決意を新たにした。

 午後8時、青森市第二問屋町3丁目の事務所に当選確実の知らせが伝わると、会場は「やった」「こんなに早いのか」と喜びの声で包まれた。事務所に駆け付けた支持者ら一人一人と固く握手した西さんは「なんとか願いを果たすことができた。皆さんのご支援のたまもの」と満面の笑みを見せた。

 7年前から抱いた思いを胸に立候補した市長選だった。

 2016年、経済界からの出馬要請を受けて一度は出馬を検討したものの、当時は「小野寺晃彦さんという優れた人材がいた」(西さん)として立候補を見送った。しかし今年1月、前市長の小野寺さんが知事選への出馬を決めた。

 「次の市政をどうするのか」。古里・青森市の未来を考えた時に、約20年にわたり経済界の立場からまちづくりや産業振興について市長に提案し、自らその活動にも携わってきた経験から「即戦力として動ける人材になれる。今までに培った知見と幅広い人脈を生かし、もっとより良い街にしたい」と、3月に名乗りを上げた。

 選挙戦は、企業へのあいさつ回りの合間を縫って街頭演説に立った。即戦力をアピールしながら新型コロナウイルス禍で疲弊した経済回復と、社会構造の多様化によりケアを求める人たちに支援を届けることを軸に訴えた。初めての選挙戦で右も左も分からず手探り状態で始めたが、徐々に仲間が集まり、15年以上の友人である自民党の津島淳衆院議員や、市議らによる支援の輪が広がっていった。

 事務所でスタッフから花束を受け取った西さんは「7年は修業期間だったが、パワーアップし、多くの人の支持と理解を得て選んでもらった。この7年は無駄ではなかった」と喜びをかみしめ、新市長として決意を新たにした。

野崎さん「思いを市政に届けられず」

 午後9時17分、野崎さんは同市新町2丁目の事務所に姿を現し、集まった支持者やスタッフを前に「思いを市政に届けられず非常に残念。ご支援いただいた皆さまに感謝する」と深く頭を下げた。

 お笑い芸人時代、多くの市民と出会って生活の悩みや課題を聞いた。「何とかして解決できないか」。芸人を引退してからも、その思いは消えなかった。もっと笑顔があふれる街にしたい-と市政への挑戦を決意した。

 特定の政党や団体の支援に頼らず、草の根活動を徹底。市街地や郊外をくまなく回り、出馬表明後は250回以上の街頭演説をこなした。マイクを握ると、元芸人らしく時折聴衆の笑いを誘う半面、真摯(しんし)なまなざしで「市民が主役の青森市をつくる」と訴えた。

 陣営は「有権者の反応は想像以上。日に日に応援が増えている」と手応えを感じ追い上げを図ったが、勝利には届かなかった。野崎さんは「皆さんの思いを任せてもらえるような説得力を見せられなかった」と敗因を分析。今後も政治活動は続ける意向といい、「笑顔あふれる青森の実現を諦められない。きょうがスタート」と力強く語った。

関さん「負けは負け」

 14年越しの再挑戦だったが、今回も及ばなかった。関さんは落選の知らせを受け、午後8時半ごろ同市篠田1丁目の事務所に姿を見せた。報道陣の取材に「これは市民が判断すること。負けは負け、悔いはない」と言い切った。

 物価高の報道に接し、困っている市民の顔が浮かんだ。告示まであと10日ほどに迫ったタイミングで、即決した。「議員の職を捨ててでも、市長として市民の生活を守る」。4月に当選したばかりの県議職を辞し、家族やスタッフらと共に突貫工事で選挙戦へ臨んだ。

 前回挑んだ2009年の市長選は「当時の市政に疑問を持った。変えなければ」という思いが強かった。今回は「市民のために戦おう」と手を挙げた。一人でも多くの人に訴えを届けようと、街頭活動に多くの時間を割き「泥くさく仕事をする」と拳に力を込めた。「関さん、よく立候補してくれた」と応援する市民の声も励みになった。しかし、出遅れを取り戻すのは難しかった。

 関さんは事務所に集まった支持者らを前に「短い期間の選挙を皆さんが支えてくれた。本当に感謝したい」と頭を下げた。

大竹さん「力足りなかった」

 「政策のベクトルは間違っていなかったが、力が足りなかった」。落選の報を受けた大竹さんは午後9時16分、同市橋本3丁目の事務所で淡々と敗戦の弁を述べた。

 2015年の知事選で落選以降、市民団体「市民連合あおもり」の共同代表として野党候補の応援に立つ中、「新型コロナウイルスの閉塞(へいそく)感を打ち破りたい」との思いが今回の出馬の決め手だった。

 開業医として診療もこなしながらの選挙戦。昼の休憩時間と診療後のわずかな時間を縫って街頭活動に奔走した。診療で子どもたちと触れ合う機会も多いことから、「子どもファースト」を掲げ、子育て支援策に人一倍強い思いを込めて訴え続けた。

 選挙活動に集中できたのは、休診日の水曜日と週末のみ。診療中は応援する県議や市議が交代で街頭演説に立った。共産党が擁立した知事選候補者の横垣成年さんと共に演説するなど連動による得票を図ったが、支持は広がらなかった。

 今後の政治活動については、市民団体代表の立場から「今回、新しいつながりもできた。若い人たちが参加するムーブメントをつくっていきたい」と述べた。

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