この記事には性被害の描写が含まれます。
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祖父の仏壇を前にすると、体が汚いものに侵されていくようなあの感覚を思い出す。
近畿地方で暮らす竹山祐介さん(30代)=仮名=は中学2年のとき、祖父から性被害に遭った。毎年の盆と正月に帰省し、顔を合わせた。「物静かだけど、優しいおじいちゃん」だと思っていた。
あるとき、祖父から「話がある」と部屋に呼び出された。昔話を始めたかと思うと、話題は次第に猥談に。祖父は「毛は生えたんか?」「成長ぶりを見せなさい」などと言って、無理やり孫の体に触れた。竹山さんは抵抗したが、そのまま口淫された。
混乱した。それからも、普段と変わらない日常は続く。家族で食卓を囲み、笑い合いながら食事をする。だんらんの中には祖父もいる。
「錯覚してしまうような、悪い夢を見ていたような。自分に起きたことと、その後の日常が違いすぎて」
優しくしてくれた祖父と、思春期の少年に迫ってくる祖父が、同じ人物だとは思えなかった。「あの日のことは、記憶違いじゃないか」と自分を疑った。
「汚い大人の性処理の道具に自分は使われた」「自分は薄汚いもの、けがらわしい存在」
そんな思いにとらわれる。あれ以来、自分の心も体も大切にできなくなったような気がする。
■家族が壊れる
20年以上が過ぎた。竹山さんは、机の上を指でなぞりながら言った。
「普段の生活でべたっとしたものに触れると、自分が汚れていくようなあの気持ち悪さがよみがえるんです」
祖父にされたことは、親族の誰にも話していない。両親にも信じてもらえないかもしれない。もし警察に被害を届け出たら、と想像したことはある。でも…。
「それをすると、家族が壊れる。やばい一族だと思われてしまう。僕さえ黙っていれば」と、心にふたをした。
性被害について、初めて誰かに話したのは大学生になってからだった。相手は友人だった。
「初体験の相手は、入れ歯を外したおじいさん」。そうやって、目いっぱい冗談めかした。
もし深刻に打ち明けて、うそではないかと疑われたら。頭がおかしいと思われたら。傷つくのが怖くて、おどけたふりをした。一方で、抱え続けるのも限界だった。孤独だった。
「そんなことがあったのかと、誰かに言ってもらいたかったのかもしれません。祖父がしたことはおかしいことだと」
■兄弟は全員
祖父から迫られたことは、2度あった。1回目の被害からしばらくして、1人で部屋にいるとふすまが開いた。祖父が立っていた。手には5千円札を持っていて、股間に押し付けられた。
前回以上に、激しく拒絶した。祖父は吐き捨てるように言った。
「おまえら兄弟は、全員やらせてくれたからな」
竹山さんには、2人の兄がいる。実は、前から察していた。兄も被害に遭っているのではないか。
「じじいと同じ部屋で2人になるなよ」と、兄から忠告されたことがあったからだ。「なぜ?」と聞くと兄は「なんでもや」と言葉を濁した。
祖父は十数年前に亡くなった。葬儀には、板挟みになるような複雑な心境で参列した。
「優しかった祖父」と「あの日の気持ち悪い祖父」。両方の記憶にふたをして手を合わせ、まぶたを閉じた。
「本当にずるいんです。純粋に憎むことができれば、どれだけ楽だったか」
葬儀には兄たちも出ていた。ときどき兄が懐かしむ。「いいおじいちゃんやったな」と、何事もなかったかのように言う。どんな気持ちでいるのか、想像はつかない。
■僕のせいで
竹山さんはゲイだ。中学1年のときに自認した。性被害に遭う1年ほど前のことだ。
当時は「病気で異常者。存在してはいけない人間だ」と、同性が好きな自分をさげすみ、責めた。そこに、祖父からの性被害が重なった。
「自分を何重にも否定してしまう。僕は、そういうことをされてもしかたのない存在なんだ、と」
自身の性的指向と、祖父の性暴力は関係ない。そうと分かっていても、日ごとに罪悪感のようなものが押し寄せた。
今は、基本的に性的指向をオープンにしながら生活しているが、兄にはずっとだまっていた。あえて、そうしていた。
「弟がゲイだということを知ると、祖父から兄が受けたであろう仕打ちを、思い出させてしまうかもしれない」
それが最近、偶然が重なり、カミングアウトせざるを得ない状況になった。「実は、ゲイで」。反応は想像していたよりも「普通」だった。パートナーとも楽しそうに会話していた。
弟のカミングアウトを、平然と受け止めてくれた兄。その瞬間を思い返すほどに、竹山さんの胸は締め付けられた。
「兄はきっと、性被害のことを誰にも言わず、全てなかったことにして生きている。ずっと孤独に、心の奥底にしまって」
直接、兄に聞いたことはない。思い込みかもしれない。だが、2度目に迫られたあの時、祖父が捨てゼリフのように言った言葉が事実だとしたら-。
今年5月、竹山さんは初めてカウンセリングを受けた。
■「私も」と言えず
性にまつわる悩みの相談窓口を知人のカウンセラーから教えてもらい、電話をかけた。
これまでは、どこに、どんなふうに相談すればいいのか分からなかった。そもそも、相談してもいい立場だと思えなかった。
「男性の性被害というのが、あまりに社会では想定されていなかったから」
2017年秋に米国の映画界から始まり、日本にも波及した「#MeToo」のムーブメント。これまで語られにくかった被害が「私も」の合言葉のもと公に明かされ、支援の輪が広がった。
当時、竹山さんも心の底から「ミートゥー」と思っていた。ただ、とても口にすることはできなかった。
「女性に、私たちの被害と同じにしないでと思われるのでは。どうしてもそんなふうに考えてしまって」
今、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川前社長(19年死去)から、性被害を受けたとする告発が相次いでいる。「信じてもらえるんだ」。自分と同じ男性たちが被害を訴える姿に、勇気をもらった。
竹山さんはカウンセリングを受けてから、自分を少し客観視できるようになったという。家族間の性暴力がどれほど残虐なことか、カウンセラーは電話越しに説明してくれた。関係性を巧みに利用され、被害は長期に及ぶケースが多いということも知った。
「自分は被害者なんだ。傷つくことは不自然なことじゃないんだ」と、初めて思えた。「傷つくことすらも、ないことにしていたから」
目を背け続けても、向き合おうとしても、どちらにしても心が重苦しい。いくつもの思いがからまりあい、今はまだどうしていいのか分からない。でも、「前に進みたい」とも思う。竹山さんはこれから、トラウマ(心的外傷)のセラピーを受けるつもりでいる。(大田将之)
【取材後記】
取材に応じてくれた男性がゲイであるということを、今回の原稿に書くかどうか迷いました。心配があったからです。
もし書いたら、彼を悪意や偏見にさらしてしまわないだろうか。誤解を招かないように書ける自信がありませんでした。
そんな私に彼は「書いてください。そこを隠すと、自分の話ではなくなってしまうから」と言いました。だからできる限り「全て」を書こうと決めました。
そもそも彼がゲイであることと、祖父の行為はなんの関係もありません。私自身、特別視しすぎていたのかもしれません。
「同意のない性的な言動は全てが性暴力だ」
被害者支援の専門家から教わった言葉を、改めて胸に刻みました。
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「きっと見えないところで、心にふたをしながら誰にも言えず、孤独に生きている人がたくさんいる」
彼の言葉からは、被害者の置かれた現状が切実に伝わってきました。その責任は、目を向けてこなかった私たちにも責任があると感じます。
今回の取材のきっかけは、ジャニーズ事務所を巡る性加害問題です。自分と同じ男性が被害を告白する姿に背中を押され、彼は連絡をくれました。
もちろん、自分の胸の内に秘め続けることも一つの選択です。ただ、一人で抱え切れなくなったとき、頼れる先の選択肢があまりに少ない気がします。
考えました。新聞に何ができるのか。取材は報じる前提にあって、記者を前に過去を振り返ることは、きっと苦痛を伴う。
でも、勇気を持って打ち明けてくれたあなたの声は孤独に耐えている別の誰かに届くかもしれない。「私も」と言いやすい社会に、少しでも近づいていけるよう努力したいと思っています。(大田将之)