![](https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/1039874346699129496/origin_1.jpg)
誰かを好きになっても応えてもらえなかったら、向けた好意もかけた時間も無駄になる。そんな自分は嫌だと思う人もいるでしょう。
いいなと思える人がいても、「先に好きになってもらえたらこちらも好きになろう」と受け身を通してしまい、相手から関わってもらう自分をじいっと待つだけ。
それこそ時間の無駄であり、相手に自分の魅力は何も伝わらず、結局関係が発展しないまま疎遠になることもあります。
「好かれたら好きになる」恋愛はなぜうまくいかないのか、お伝えします。
「好かれる自分」を見ないと好きになれない心理
自分だけが相手を好きな状態、いわゆる片思いは「相手からも絶対に好かれる未来」を誰も用意してくれないため、先の見えないつながりに身を置く勇気が必要になります。
「好きだ」と伝えて楽しい時間を共有する努力をし、相手のために一生懸命に尽くしたけれど、最終的に好かれることはなく関係が終わってしまう現実を見れば、誰だって悲しいしつらいのは当然です。
尾を引くのは「がんばったけれど好かれなかった自分」です。落ち込みが深くなると「努力をしても無駄だった、そんな自分に価値はない」と思い込みます。
そんな自信のなさが「先に好きになってくれた人を好きになれば傷つかない」という気持ちにつながり、受け身でいることに違和感を持たなくなります。
「好かれる自分」を先に見れば安心して心を開けるし、努力を裏切られることなく愛されると思うのですね。
好かれない自分を避けたいから「応える側」でいたい、それが受け身でいる人の本音だと筆者は感じます。
痛みを受けた経験からそうなってしまうのであり、「先に好かれたら」の条件で恋愛を考えるのは理解できますが、一方でその自分がかえって幸せなつながりを遠ざけていることも多いのが現実。
「先に好かれたら好きになる」恋愛がうまくいかないのはなぜなのでしょうか。
![](https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/1039874343310115597/origin_1.jpg)
受け身な人は相手にどう映っている?
ある女性は、趣味や考え方が合い「いいな」と思う男性がいましたが、LINEや電話をするのは自分ばかりで食事に行く約束すら提案してこない男性の様子に不安を覚え、疲れてしまったといいます。
「たとえば、日曜日の午前中にLINEで話していて『今日は一日暇している』ってその人が送ってくるのですよね。
以前は『あ、じゃあランチでも行く?』と気軽に返して待ち合わせをしていたのですが、そのうち何で私ばかり誘っているのだろうと気になって、週末に空いている話をされても『そうなのだね』で終わらせるようになりました。
『会わない?』と声をかけてくれるかなと思ったのですがそんなことはなく話は終わり。それはまだいいけれど次の週に話していたら『暇だったから一日ゲームをしていた』『なかなか会える人がいない』って、週末について愚痴を言ってくるのがストレスで。
私が誘わなかったからみたいな雰囲気にされるのが嫌で、『それなら自分から声をかければいいじゃない』と返したら『相手の都合がわからない』『断られたら嫌だ』と今度は言い訳。
要は誘われる側でいたいのだなと感じました。
距離を置こうと決めたのは私が別の男性とランチに行った話をしたときで、『よかったね』と嫌味のように言うだけなのを見てもうダメだなと思いましたね」
せっかく仲良くなったのに、「誘わないこちら」を一方的に非難するような姿を見れば好意が萎えるのは当然です。
男性の在り方は「自分への好意をねだる」ように見えており、「叶えてくれないからダダをこねているだけ」と女性は話していました。
こんなつまずきは男女が入れ替わってもよく起こりますが、「こちらが誘わない限り一緒に過ごすことができない」相手と気持ちよく関係を続けることは、相当の辛抱強さが必要ではないでしょうか。
生まれた好意を大事にしてもらえないつながりは、対等ではないためいずれ終わります。
前向きに気持ちを育てるためには、お互いに同じ気持ちなのだと確認する機会が必須であり、「自分だけ努力している」「相手は乗っかるだけ」と実感させられる関係ではうまくいきません。
これが、受け身でいる自分に違和感を持たない人が抱える「損」だと筆者は思います。
![](https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/1039874343293649887/origin_1.jpg)
「先に好かれたい」はお互いさま
誰だって自分だけが尽くすような関係は嫌なはずで、もっとネガティブな感情を覚えるのは「そうするのを求められる」ことです。
上のケースでいえば、会いたいのなら素直にそう伝えてくれたらこちらもすぐ応じるのに、ひたすらこちらが誘ってくるのを待ち、それをしなかったことを後で責めてくる男性の様子は、交際に発展したときにリラックスして過ごせる自分を想像できないですよね。
好意をねだる、「先に好意を伝えろ」と迫るような人に健全な愛情は感じないはず。
上のケースは「好かれたら好きになる」恋愛の典型的なパターンで、自分の気持ちはいっさい見せずに相手の自分への関わり方にだけこだわっている状態です。
期待に応えるようなら自分も好意を伝えるし、そうでないならもういい、となるとこちらの「楽しく過ごしたい気持ち」は置き去りになります。
受け身を通す人は相手のこんな寂しさや悲しみを考えておらず、「叶えてもらえない自分」だけ受け取り居心地のいい関係を諦めてしまうため、結局は誰からも好かれません。
「先に好かれたい」のは自分と等しく相手も思う、という視点があれば、その自分を見ることにこだわる姿が相手の好意を曲げる、ほしい愛情をみずから失っているのだと気が付きます。
![](https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/1039874380080858042/origin_1.jpg)
「誰かを好きな自分」をまず受け入れる
それでも、「先に好かれてから好きになりたい」と思う受け身の人は、過去の経験から自分の気持ちを素直に伝える勇気が持てません。
「傷つきたくない」の本音が「無駄な努力はしたくない」と行動にブレーキをかけ続け、一方で自分が覚える好意について強い葛藤を抱えます。
好かれていなくても、相手に良いところがあれば好意や思慕が自然に生まれるのが人間で、一度自覚したら逃げられないその感情をまっすぐ育てられない、「芽生えた好意をまず自分がうまく扱えない」状態が受け身でいる人には見えます。
在り方に自信がないことで、誰かを好きになる自分を正しく認められないのですね。
誰かを好きになることにも勇気がいります。
自分以外の誰かを受け入れる器を用意することは、「その自分」に前向きな気持ちがないとできません。
人を愛するのは「その自分」も同時に愛することであり、これができないために受け身の人は苦しみます。
「こんな自分が人を好きでいていいのか」「こんな気持ちは持ってはいけないのでは」と自身の気持ちを否定してしまうため、「伝える」まで心の動きが伸びないし、相手から拒否される場面しか想像できないともいえます。
受け身の自分を変えるためには、まず「誰かを好きな自分」をきちんと認め、「大丈夫なのだ」とOKを出す勇気が欠かせません。
![](https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/1039874381339918697/origin_1.jpg)
関係を相手任せにすることの危険
「好かれてから好きになる」恋愛は、この「誰かを好きな自分」を相手に認めてもらうことで自信を与えられるといえます。
極端にいえば「好かれないのならこの人を好きな自分に価値はない」と決めつけている状態で、どうしても相手の態度に心が左右されます。
自分の在り方を人が決めることをよしとするのは非常に危険です。心の弱さを見抜かれたら口先だけで関係を操作されるのを止められず、相手にとって都合のいいつながりに置かれていることもあります。
関係を相手任せにするのが受け身の人で、自分の意思がないことでまずい状況になっていても気が付かなかったり、それを責めようにも「受け入れた自分」を突きつけられたら何も言えなくなったりと、結局はつらい思いをするのは自分です。
そんな経験がさらに自分を追い詰め、人を好きになることそのものを諦めてしまうと、孤独と孤立が深くなる一方です。
人との関係は対等であり、どんな状況に身を置くかは自分で決められるのが当たり前、その勇気を持つのが身を守ることでもあり、自信を育てるといえます。
「好かれたら好きになる」恋愛をしている人は、関係を相手任せにすることのリスクを考える必要があります。
![](https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/1039874389242757630/origin_1.jpg)
自分を好きになると「伝える努力」を無駄と感じない
「誰かを好きな自分」を受け入れるのは強さであり、胸を張って「この人が好きだ」と言える自信がそのまま「その自分が好き」となります。
たくさん生まれる「好き」が心の余裕を生み、相手と居心地よく関われる自分を想像したり、相手との関係で何ができるかを正しく考えたりできると筆者は感じます。
「傷つきたくないから無駄な努力はしたくない」の心のブレーキが外れるとき、思いを伝えたい、伝える努力ができる自分を愛せるのです。
気持ちは届けない限り相手が知ることはなく、知ってもらえたら今度は相手も同じく伝えようと考えてくれます。
届けてもらった愛情をきちんと受け止める力も、「その自分」が好きだからできること。
健全な愛情は同じ気持ちだとお互いに確認できる機会があるから大事にしたくなり、その姿勢がふたりの結びつきを強くします。
「好かれたら好きになる」恋愛がうまくいかないのは、「誰かを好きな自分」を受け入れない限り向けられる愛情もまたまっすぐ受け止められないからで、せっかく生まれた縁をどうするか、相手任せにしていては望む愛情は手に入らないのが現実です。
誰かを好きになることは自分を好きになること、それは正しく自尊心を育てるのだと、忘れずにいたいですね。
*
好かれる自分を見てから好きになりたい、それが正解だと思っているといざそうなったときに予想と反して「この人を好きになれない自分」が出てくることがあります。
相手の好意をベースにすると今度は「応えられない」ことに悩み、やっぱり関係はうまくいきません。
好かれるのを待つのではなくまず自分が好きになる姿勢が、いつだって自分のためなのですね。
(mimot.(ミモット)/ 弘田 香)