大河『家康』2代将軍・秀忠の母、お愛の方の実像 美貌が家康の目にとまった!? 20代後半で死亡 識者語る

NHK大河ドラマ「どうする家康」第23話は「瀬名、覚醒」。今回、徳川家康の側室となるお愛の方(西郷局)が登場してきました。演じるのは、女優の広瀬アリスさんです。では、このお愛の方とは、どのような女性だったのでしょうか。お愛は、永禄5年(1562)に生まれたとされます(生年は諸説あり)。家康は天文11年(1543)生まれですから、19の年の差がありました。

お愛は、一説によると、遠江国の豪族・戸塚忠春の娘として生を受けます。母は、三河国の豪族・西郷氏の娘でした。お愛は、後に家康の側室となりますが、初婚ではありません。従兄の西郷義勝と結婚し、子供を儲けていました。しかし、義勝はその後、戦死。叔父・西郷清員の養女となったお愛。お愛は美女だったと言われますが、その美貌が家康の目にとまり、その側室となったという話もあります。

お愛は、天正7年(1579)に、長松を産みます。後の徳川幕府2代将軍・徳川秀忠です。その翌年(1580)には、福松丸、後の松平忠吉を出産。しかし、お愛は天正17年(1589)に駿府にて死去してしまいます。お愛が永禄年間に生まれたとすると、20代後半で亡くなってしまったのです。つまり、夫の家康が征夷大将軍に就任することも、子の秀忠が2代将軍になることも、知らずに亡くなったのでした。

さて、今回、家康の伯父・水野信元が自刃に追い詰められる描写がありました。家康の母・於大の方は、信元の異母妹でした。桶狭間の戦い(1560年)においては、大高城に留まる家康(当時は今川氏の部将)に「今川義元は戦死した。明日にも信長軍が攻めてこよう。一刻も早く退かれよ」と懇切な助言をしたことで知られます(『三河物語』)。

早くから織田方に付いていた信元ですが、最終的には織田信長の命令により、家康の手の者に殺害されたという説もあります(甲斐の武田勝頼への内応が疑われたのです(武田方の美濃岩村城主・秋山信友に兵糧を売ったという)。信元殺害後、その所領は、織田重臣・佐久間信盛に与えられました。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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