入管法と日本共産党の暗黒史|松崎いたる 密航による不法な出入国を繰り返してきた日本共産党に「入管行政の歪み」などと批判する資格はない!志位氏の入管法を廃止あるいは骨抜きにしようとする要求は、日共の暗黒の歴史を覆い隠そうとする企てである。『日本共産党暗黒の百年史』の著者、松崎いたる氏による「ここが変だよ日本共産党」第5弾!

「入管庁=特高警察」が共産党の公式見解

〝入管庁は特高警察だ〟――日本共産党がこんな主張を展開している。

入管法改正が6月9日、国会で成立したが、その法案審議の真っ最中だった5月17日には志位和夫委員長がツイッターで「戦前の出入国管理は内務省の管轄で、当時、日本の植民地支配のもとに置かれていた朝鮮と台湾等の人々を取り締まることを主任務とし、その担い手は悪名高き特高警察だった。 それが戦後もそのまま引き継がれたことに、現行入管制度の反人権性、強権・隠蔽体質の根がある。 入管制度の抜本的改革を求める運動は、戦前の特高警察的な歴史をただす歴史的な意義をもつものです」と述べた。

5月20日にも「ウィシュマさんを死に追いやった現在の日本の入管制度の異常な反人権的な歪みの根っこは、戦前にある。戦前の出入国管理は、内務省の管轄であり、その担い手は特高警察だった。 それが戦後も、ただされないまま今日にいたった。 この歪みを根本からただす大改革が必要です」と志位氏はツイートしている。

小池晃書記局長も5月15日の記者会見で同じ主旨の発言をしているから「入管庁=特高」は共産党としての公式見解といってもいいだろう。

6月9日の参院本会議で入管法改正に対する反対討論をした同党の仁比聡平議員は「特高」の名前こそ持ち出さなかったが、「入管行政の源流には、戦前の植民地支配、戦後の在日朝鮮人の排斥の歴史がある」などと述べて、日本の入管そのものを非難した。

2023年5月17日Twitter

共産党得意の妄想

だがこうした主張は入管法改正の議論を歪める不当なレッテル貼りであり、歴史の中から共産党にとって都合のいい部分だけをつまみ食いした妄想だ。

特高(特別高等警察)は、1910(明治43)年、明治天皇の暗殺を計画したとして無政府主義者の幸徳秋水らが逮捕、処刑された「大逆事件」を契機に、同年、警視庁内に危険思想の取締りを担当する特別高等課が設置されたのがはじまりとされている。その後、内務省の統括のもと、全国の主要都市の警察署内に特高が置かれた。1922年に日本共産党が創立すると、特高の重要な捜査対象となり、共産党員たちは特高の厳しい追及を受けることになる。

なかでも党員作家・小林多喜二が特高に逮捕され、取り調べ中に死亡した事件は「多喜二を虐殺した特高」への党員たちの復讐心をたぎらせた。

志位委員長のご都合主義

特高は戦後、治安維持法とともにGHQの命令により廃止されたが、最近になっても党機関紙「しんぶん赤旗」が特高について「天皇制政府は1925年に制定された治安維持法などを適用し特高警察による日本共産党への無法な弾圧を続けました。容疑者を逮捕して拷問を加え、裏切りやスパイを強要し、多くの党員・支持者を虐殺しました。日本共産党員で作家の小林多喜二も犠牲者の一人で、33年2月20日に逮捕され、東京・築地署で7時間後に絶命しています」との解説記事を掲載するなど、いまなお特高は日共にとって不倶戴天の敵となっている。

〝入管庁は特高警察だ〟という主張はこうした文脈のなかで現れたものだ。戦前、特高が出入国管理の業務を担った歴史的事実はある。しかしそれは、朝鮮、台湾という当時の植民地支配という必要から生じた歴史的な特殊事情ともいえるものだ。「それが戦後もそのまま引き継がれた」とか「戦後も、ただされないまま今日にいたった」という志位氏の主張は、植民地のない現代においては全く通用しないばかりか、戦後の民主化の成果を否定するものだ。入管法改正反対 という目先の目的のために、特高の歴史を利用しようしたご都合主義にすぎない。

70年前から「死刑」で入管法に反対していた

1950年代、日共は出入国管理の法令について〝特高からの引継ぎ〟ではなく、アメリカによる「占領法規」の一つと位置付けていた。

日共の機関誌である『前衛』1954年7月号は「占領法規てっぱいのために」という編集部執筆の特集記事を掲載しているが、そのなかで「占領法規をひきつぎ実質上占領法規である国内法」として、破防法などと共に出入国管理法を掲げ、次のように解説している。

「出入国管理法:出入国の管理に関する政令、不法入国者等退去強制手続令を『講和』(=1951年のサンフランシスコ講和条約)後も永久化しようとしてつくられ、在日民主外国人民の弾圧、動勢監視、国外追放、につかわれ、朝鮮人に対する弾圧は、その特色である」

そして法の目的として「マッカラン法(=米国の反共法)の日本版で、民主的な外国人の入国を禁じ、日本の利益または安全を害するおそれありとの名目で、日本を米帝のくさりにつなぎ鎖国しようとするもので、憲法に反して、行政庁による裁判を事実上行っている。しかも、在日外人に対するスパイ活動をつねに奨励し、民主主義者を国外追放に処そうとするファシズム法である」とまで言っている。

さらに「適用の実状」として「外国人登録法とあいまって、在日朝鮮人、中国人の弾圧にもっともつかわれている。在日朝鮮人を李(承晩)支配下の南鮮(=韓国)に強制送還することによって事実上死刑に処している」と主張していた。〈引用中()内は松﨑が補った〉

今回の入管法改正をめぐる国会論戦の中でも改正案に反対する議員からは「法案を通せば死刑執行のボタンを押すことになる」という感情的な意見表明が繰り返されたが、「死刑」というワードで入管法に反対する主張は70年前から変わらないということだ。

火炎ビン闘争を奨励

ちなみにこの「占領法規てっぱいのために」 の「爆発物取締罰則」の項では、「『治安維持』の立場から爆発物の使用を厳禁し、これを死刑で威嚇している。現在では銃砲等所持禁止令とならんで国民武装を禁止する役割をになっている」とか「火焔ビン、ラムネビンに対して検察庁ではこの罰則を適用しようとしたが裁判所の多くはこれをみとめなかった。弾圧当局ではこの罰則を重視し、国民の自衛活動に妨害を加えようとしている」と解説している。「国民武装」や「自衛活動」として、火炎ビン闘争を奨励する当時の日共の危険な姿勢がよく表れている。

殺人犯を中国に逃亡させる

戦前、戦後の日本の出入国管理の歴史をふり返れば、日共に「入管行政の歪み」など批判する資格などさらさらない。

戦前は、コミンテルン日本支部だった日共は、ソ連のコミンテルン本部との連絡をする際には、密航による不法な出入国をするのが常であった。密航によってソ連本国から多額の資金や拳銃等の武器を入手していたのだ。

戦後も、マッカーサーの指令によって党中央が解体(レッド・パージ)されると、徳田球一や野坂参三など主要幹部が中国に不法出国し、「北京機関」を設置、中国から日本国内に残した「臨時中央指導部」(臨中)を指揮する体制をつくった。北京機関と臨中との連絡は、漁船を利用した密航であった。この日共の密航ルートは当時「人民艦隊」と呼ばれた。

「人民艦隊」は、日共による殺人である「白鳥事件」の実行犯を含む関係者を中国に逃亡させるためにも利用された。

戦後の混乱期のなかで、入管行政も現在のようには確立しておらず、様々な点で隙が生じていたことは否めない。その入管の隙をついて、日共は自らの犯罪行為を隠ぺいしてきたのだ。

逆に言えば、「人民艦隊」のような密航の横行への反省から、今日の出入国管理の体制がつくられてきたとも言える。

志位氏は「入管制度の抜本的改革を求める運動は、戦前の特高警察的な歴史をただす歴史的な意義をもつものです」と言うが、入管法を廃止あるいは骨抜きにしようとする要求は、日共の暗黒の歴史を覆い隠そうとする企てであることを忘れてはなるまい。

松崎いたる

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