ペルーでマカリステルのお父さんとプレー!日本屈指の“南米通”、亘崇詞さんに聞いた「ペルーサッカーの話」がおもしろい

森保一監督率いる日本代表は本日20日、キリンチャレンジカップ2023でペルー代表と対戦する。

カタールワールドカップの南米予選は5位。プレーオフで敗れ惜しくも本大会出場を逃したペルーだが、FIFAランキングでは日本の一つ下の21位に位置する強豪だ。4日前には韓国に1-0で勝利している。

南米の中でも日系人が多い国として知られるペルー。一方で、ペルーのサッカーは日本であまり知られていないのが実情だ。

そこで、日本屈指の“南米通”であり、2000年代にペルーの強豪スポルティング・クリスタルでのプレー経験もある、亘崇詞さんをQolyが直撃!

ペルーのクラブへ加入した経緯や当時の思い出、ペルーの国民性、ペルーのサッカーなどについて色々聞いてみた。

マラドーナ得意のワガママで起こった“奇跡”

――ここからはペルーでプレーしていた時のお話をうかがわせてください。ペルーの強豪スポルティング・クリスタルに加入されたのは2006年です?

2006年から行って2007年に日本へ帰ってきたのかな。

ペルーというのは、近隣であるウルグアイやパラグアイ、ボリビアとか、ちょっとこれからのキャリアを考え「アルゼンチンの1部でサブでベンチに座り普通の選手で終わるより、ペルーの1部リーグで親戚や家族と少しの期間、離れても成功してやろうと思う選手」が多くいる時期がありました。

監督とかもそうで、行くというイメージがあった時期があるんです。

アルゼンチン代表を率いたホルヘ・サンパオリ監督などがまさにそうですね。アルゼンチン国内ではなかなかチャンスを監督としてはもらえず、ペルーのボロネージなど1部の中堅チームで頑張ってその後のキャリアに繋げ、代表監督にまでなったケースがあります。彼がアルゼンチン国内での監督にこだわっていたら代表を率いることはなかったと思います。

そうやってペルー経由で成功する人もいるんですよ。もちろんそのままペルーに残ってプレーし、ペルー代表に帰化して出ている選手もいました。

僕がクリスタルに行った時、(ノルベルト・)アラウホという選手がチームメイトにいたんですね。アルゼンチンは多分3人くらいいましたかね。ウルグアイ人もいましたし、帰化選手もいてもうペルー代表で出ていました。

その中のアラウホというのはやっぱりアルゼンチンではあまり日の目を浴びない、そんなに評価も高くはなく2部リーグでのプレーヤーというイメージがあり、給料も低かったんです。

それがペルーで頑張って評価され、次に行くチームでは給料も上がり、良い家や車も与えられステップアップしていきました。彼がもしアルゼンチンにこだわってプレーを続けていたら、途中で他の仕事を選んでいたかもしれませんね。

だけどペルーで頑張って、その後にエクアドルでしたかね(※後にエクアドル代表へ帰化)、リーガ・デ・キトかなんかに移籍して。クラブワールドカップでマンチェスター・ユナイテッドとも試合をしましたよね。

「夢を買う」じゃないですけど、アルゼンチン人がペルーやエクアドルへ行ってみたいなのが結構あります。僕もでしたがアルゼンチンの2部でやるよりやはり多くの観客にみてもらえますし、給料のほかに車や家を用意してもらったり、競争の激しいアルゼンチンよりは落ち着いてチャンスをくれるし気候も暖かいし環境も良いイメージがあります。

アジアと違うのは、国内にもチーム数が多いですし、世界的にも結果を出しているアルゼンチン、ブラジルに対しても言葉の障害がありません。それぞれの国の好むツボは違いますが、それぞれの国に順応しながらプレーすることで、違った評価をしてもらえたら給料の良いメキシコに行けたりと再チャンスをもらえる受け皿があるのも、また南米の面白いところですかねえ。

あと日系の企業もペルーには多くて、だからお手伝いしてくれる方がいて。日本の企業とそこの企業にお手伝いしてもらって、泊まるところとか色んなことも探してもらって、テストで連れて行ってもらったというのが(スポルティング・クリスタル加入の)経緯なんですよね。

そういえばダビド・ソリアという帝京高校で交換留学生として日本の高校サッカーでプレーしていた選手もチームメイトにいました(※日本名は吉成大)。

※今季のコパ・リベルタドーレスにも出場しているスポルティング・クリスタル。アリアンサ・リマ、ウニベルシタリオとともに首都リマで「3強」を形成する。

マラドーナさんとそこでサッカーしたのが、狙って行ったんじゃないか?と言ってもらえることもあるんですけど(笑)、そうではなくその後にマラドーナさんが親善試合で来て、本当にたまたま試合ができたという(※亘氏は2006年5月に首都リマで開催された記念試合に、なぜかマラドーナチームの1人として出場)。

元々それもマラドーナさんと試合をできるはずじゃなかったんですよ、僕は。マラドーナさんが一人でやってきて、50周年記念にクリスタルのチーム…クリスタルの往年の人とペルー代表の往年の、ちょっと“お爺ちゃんたちチーム”同士で対戦してという話でした。激しい試合とかではなく興行をやろうとしていたんです。

そうしたら、いきなりマラドーナが来て、それこそ今度リヴァプールの10番を付けるマカリステルのお父さん(※元ボカでマラドーナとプレーした代表選手)とか何人か勝手に連れてきたんですよ。主催者に「いや、そんなのじゃなくてこっちのほうが面白いから」みたいな、得意のワガママを言い出したんです(笑)。

それで試合の前々日くらいにもう全部ガラっと変えちゃって、急に何かその時のペルーのリーグ選抜…それにお爺ちゃんたちも出るわけにはいかなくなって。だから歴代の有名選手たちもプレーするのを楽しみにされていたと思うのですが、その方たちは初めの挨拶だけになっちゃったのかな?気の毒にも。

対するは、ペルー国内にいる外国人チーム&マラドーナの友達みたい感じで。マラドーナが連れてきた選手で足りない部分を、それこそアラウホとか僕とかやっぱりちょっと会ったことがある人が「おお」みたいな感じで入れてくれたというのは、本当に奇跡的な感じでした。

運良くその時は試合に出させてもらったという形なんです。だから本当に星の巡り合わせもよく、南米には運がよく、本当に感謝するしかないという人生なんですけど、僕の場合は。

ペルーのサッカーが「魅せ合うサッカー」なワケ

――そういった事情であの試合に出場されたんですね(笑)。ペルーの国民性などはどうですか?

国民性でいうと、まずペルーの首都リマという場所は1年間雨が降らない。暖かくて乾いている。

それはもう住むまで分からなかったんですけど、それはそうですよね、ナスカの地上絵とかはあれだけ残っているわけですから。水害も雨も降らず。あんなものは雨が降ったら消えちゃうわけですから。もちろん補修はしていますけど。

そういう場所なんですね。だからお金がない人が何を削るかって、「屋根を削る」という衝撃的なものを見たんですよ。アルゼンチンのお金がない人もさすがに屋根は付けているんですけど、屋根がないんです、ペルーは。すごく貧富の差もありますし。

でも陽気な方々で、それから日系の方も多くて文化も浸透しています。現地の方々の食事にお米はよく出ます。この(インタビューの)話をいただいて、久々にペルー料理をこの間食べに行ったんですけど、チャーハンとか、もちろん白いお米も食べます。日本の方々もきっと住みやすいイメージのある国ではあります。

国民性でいうと、同じ南米でもウルグアイやアルゼンチンが一発勝負に強かったりするのは、やっぱり規律がある。根性論になるかもしれないですけど、どこかで我慢するとか。

ウルグアイやアルゼンチンは四季があるんですね。寒い時は寒いですし、暑い時は暑いです。だから我慢ができる。ペルーへ行ったら、一年中穏やかな…ふわーんとしているから、結構、勝てる試合を勝てなかったりするというのを言う人はいます。完全に偏見ですけどね。温暖な場所で一年中あったかい気候です。

ペルーの人は、陽気で、やっぱり日本人に似た技術とか技とかは好きですね。80年代とかその頃のペルーというのは、南米の中でもブラジル人もアルゼンチン人も認める「技術の高い国」でしたから、当時のリーグですごく高い技術を目の当たりにされたのではないでしょうか。

1986年ワールドカップとかを見てもらったら分かるんですけど、(テオフィロ・)クビジャスさんとか(エクトル・)チュンピタスとか、めちゃくちゃ上手いです。もう本当に勝負ではなく上手さだけ言えばブラジル人より上手いんじゃないかっていう。フリーキックをアウトでスカーンと入れちゃったりとか、魔法みたいなプレーをしていました。

これは国民性でいうと多分、アルゼンチンやブラジルはまだ世界からの放映権が入るんですよ。だけどペルーはまず入らないです。コロンビアとかも。だからサッカーが「魅せ合うサッカー」なんですよ。グラウンドに何人足を運ばせるかで収益が変わるんです。

だからやっぱりサッカーが縦に速いというよりは、ゴールを決めるよりキーパーも抜いて入れて拍手をもらうとかそういうところになりがちなんです。

みんな上手いんですよ。アルゼンチン人がよく言うのは「あー、ペルー人はうまいうまい」。だけどみんな入れてキーパーを抜こうとして、最後になんか寄せられてやられたりとか(笑)、そういう話をされるのがペルーの選手。でも上手いんです。

ただ、(クラウディオ・)ピサーロとか(パオロ・)ゲレーロみたいに若くして結構ヨーロッパに行かせて、育て方を変えたというのもありますね。最後まで、熟成のところまではペルーでやらないで、ある程度そういうことをやり出して、やっぱり力を付けているというのはあります。

それから監督も代わり、今はフアン・レイノソですけど、(元アルゼンチン代表の)リカルド・ガレカとかですね、アルゼンチン人とかやっていた時はやっぱりブラジルやアルゼンチンとも結構良い試合もしましたし。

それはコロンビアもそうですね。本当に1980年代のバルデラマさんとかがいて、すごく良いサッカーしていたのに、やっぱりフィジカル中心、戦術中心のサッカーになりました。それが止められるようになって10年も苦しい時期が続いて、ペケルマンを連れてくるしかなかった。だから今はまたワールドカップ常連の国になったわけです。

コロンビアもそうですけど、若くして選手を外に出していって、言ったらリズムの遅いサッカーのまま大人にならないという方法をやり出して、ちょっと怖い国にはなっていますね。

※ペルー代表歴代最多の38ゴールを記録しているパオロ・ゲレーロ。39歳になったが今回の代表にも招集されている。

――たしかに、最近はエクアドルなども選手が若くして欧州を渡りチームが強くなってきた印象があります。

“いい素材”はいるので、いかに規律などを植え付けていくかで変わる部分はあります。

昔はやっぱり技術だけとか、規律がなくてもサッカーの上手さだけで何とかなった部分があるんですけど、現代サッカーだとなかなかそれは通用しないですからね。それが変わったのは大きいところではあるかもしれません。

アルゼンチンでプレーしたペルー人選手の“明暗”

――ペルーの日系人といえば、ボカにホセ・ペレーダ・マルヤマという選手がいましたよね。ペルー行きは彼との繋がりもあったという話しも聞きました。

いや、色々情報も聞いていたんですよ。(ボカには)それこそ(ノルベルト)ソラーノという選手もいたりですね。ようはペルーのエリート選手は、逆にアルゼンチンを使って海外にステップアップする。アルゼンチン経由のほうが移籍金や給料が高くなるケースもあるわけです。

やはりアルゼンチンリーグでもやれたという評価から、ソラーノやイタリアで活躍した(フアン・マヌエル・)バルガスなどのケースもありますし、チリのサラスやコロンビアのファルカオなどもそういったケースの選手と言えるでしょう。

古くからボカにも結構ペルー人選手がいるんですよ。今も(カルロス・)サンブラーノは2022年に退団しましたが、ルイス・アドビンクラが現在も在籍しています。やっぱり「ソラーノの再来」と言われヨーロッパのビッグクラブに行くことを期待されています。

ペルー人は南米の中でもボールを扱う技術は高く、しかし日本人みたいに最後は遠慮してしまうのですかねえ、アルゼンチンで成功するのは結構難しいんですよ。

クリスタル時代のチームメイトでキャプテンを務めていた選手も本来はトップ下など攻撃的な選手でしたが、ソラーノ同様にアルゼンチン国内リーグではサイドバックとしてプレーして「いやーアルゼンチンは難しかった」と言っていました。ただペルーに戻ったらかなりのリーダーシップでまた攻撃的なポジションをやっていました。

ですから何人かですね、アルゼンチンで成功したペルー人は。謙虚な感じでファンにも受け入れられ、うまくその国のサッカーにも溶け込み自分を表現する。厳しいアルゼンチンのサッカーに食い下がって、やっぱり戦術的なこととかを覚えたりとか、チームの一部になるというのは同じ南米に生まれてもある程度、サッカーを見せ合う国からやってきて結果重視のアルゼンチンで戦うのはそれはそれは努力したんでしょうね。

ソラーノも、ペルー国内や代表では右サイドハーフとか前のポジションをやっていた選手が、アルゼンチンでは完全にサイドバックをやって評価されました。羨ましいのはマラドーナさんやカニーヒャさんらがいた厳しい国内リーグの中でプレーし、その後ニューカッスルでプレーするわけですが、その頃には精神的にも鍛えられていて素晴らしい選手になっていましたよね。

チームから求められた仕事を「いや、僕はこれしかやれません」ではなくて、厳しい中でも順応した選手に関しては結構その後、イタリアへ行ったりヨーロッパでも活躍した選手もいます。

今のペルー代表もだんだん意識が変わってきていますから、やはり積み重ねですね。

それこそ当時ボカにチャレンジした(ホセ・)ペレーダのデビュー戦を思い出しますが、やっぱり上手かったですからねえ。ドリブルで抜いて行って抜いて行って、最後、残念ながら外しちゃったんですよ。

その試合の放送も覚えていますが「あぁ、やっぱりペルー人は」みたいな声でファンからも言われちゃったり。決めておけばよかったんですが当時のメンバーは世界一を狙っていた集団でしたし、可哀そうな評価で終わってしまいました。ドリブルは練習を見ていても本当に上手かったんですが。

だけどやっぱりコンスタントにチャンスをもらえなくなって、リーグで使ってもらえなかったというのは…。大事な場面で上手いとかではなくゴールを決めきれなかったところなんでしょうかねえ。

アルゼンチン人とかが一発勝負で「こいつに懸けてやるぞ」という人間性の部分で、やっぱり何かちょっと陽気なところとかが軽く見られちゃうとか「勝てる集団になるには!」みたいなところでいうと選ばれなくなってしまうところはあるんですよね。

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日本人の自分も大いに反省し「人生がもう一回あったら」なんて思うこともあるのですが、やはり厳しいリーグの中でチャンスはそうないですからね。

≪「日本戦の見どころ・注目点」につづく≫

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