【富士山】“世界文化遺産”登録から10年…何が変わったのか?後世に伝えるための課題とは?(静岡県)

6月22日からちょうど10年前、カンボジアのプノンペンで行われたユネスコの会議で、富士山が世界文化遺産に登録されることが決定した。登録から10年で何が変わったのか?そして後世に伝えていくための課題は?

18日 日曜日、静岡・富士宮市では、富士山の世界文化遺産登録10周年を祝うイベントが開かれ、大勢の人で賑わった。コロナが落ち着き、間もなく迎える夏の登山シーズン、地元の期待も大きいようだ。

(地元の飲食店)

「世界から富士宮にたくさんの人に来てもらいたい」

今から10年前…。

(徳増ないる アナウンサー)

「こちらで今、世界遺産委員会が開かれていて、きょうから富士山を含む新規の遺産の審議がはじまります」

2013年6月22日、富士山の世界文化遺産への登録が決定した。ユネスコが認めたのは、富士山が日本人にとって「信仰の対象」「芸術の源泉」であり続けたことの価値。山体だけではなく、静岡・山梨合わせて25の構成資産が登録の対象となった。

富士宮市に2017年に完成した「富士山世界遺産センター」は、構成資産の紹介など富士山の価値を伝えるための施設。研究拠点ともなっていて、火山学、歴史、芸術など、分野が異なる研究員が常駐し、研究の成果を本にまとめたり、出張講座や企画展を開催している。

大高教授は古文書や民俗資料などを通して、富士山信仰の歴史などを研究している。世界遺産センターで研究することのメリットを聞くと…。

(県富士山世界遺産センター 学芸課 歴史学 大高康正 教授)

「富士山に近いので、地元の人からいろいろな情報が入る、情報が入ったときに、すぐに現場に向かうことができる」「研究拠点が静岡県内になかったので、それができたことは大きい」

富士山の構成資産も、この10年で大きな変化があった。

「白糸ノ滝」では、滝つぼ周辺から景観を損なう人工物を取り除く整備工事を進めていた。橋や通路を新設、案内看板も各所に設置された。

(ちどり屋 渡邊邦浩 社長)

「本当に10年でお客さんが(世界遺産登録後)爆発的に増えてコロナで今度は爆発的に減って本当にいろいろあった10年だと思う」

こう話すのは、明治43年創業の土産店の店主。創業以来、滝つぼ近くにあった店舗で営業していたが、整備計画により移転した。この夏に寄せる期待は大きいようだ。

(ちどり屋 渡邊邦浩 社長)

「(コロナが)5類になってから外国の客が本当に多い、インド、マレーシア、タイ、あと台湾、客船の客も、コロナ前より外国の客は増えている感じ」

こちらも構成資産の一つ「村山浅間神社」。明治時代初めまで、富士山信仰登山の拠点となっていた場所。世界遺産登録後、お堂が立て直され、2022年、駐車場も整備された。この10年でハード面は整備が進み、参拝者も増えているようだが、寺田総代は課題を感じている。

(村山浅間神社 寺田数夫 総代)

「富士山に登って御来光を見る、それが信仰の全てだと、おそらく99%の方はそれが信仰だと思っている」「村山口の登山道には、今も壊された仏像、古い遺跡が残っている」「もっと多くの人に知ってもらい、本当の”信仰”を体で感じてほしい」

富士宮市では、こうした構成資産の認知度を高めようと、観光バス「強力くん」のPRを積極的にするなど対策に乗り出してる。

元文部科学大臣で富士山の世界遺産登録に尽力してきた遠山敦子 世界遺産センター館長は、この10年をこう振り返る。

(県富士山世界遺産センター 遠山敦子 館長)

「世界遺産になって、富士山が日本の宝から世界の宝になった」「国内外に存在感がひときわ大きくなったと思う、厳然とある富士山は何の変化もないが、人間が受け取る富士山への感情、関心は大きく変わりつつあると思う」

世界遺産となり10年、世界からも注目される場所となった富士山。どう守り、どう後世に伝えていくのか、課題は山積している。富士山は7月10日、静岡県側の山開きを迎える。

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